ドル円は下ヒゲ出現で一旦底打ち?一目均衡表の雲の下限に支えられるか注目 2022/11/18(金)志摩力男

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ドル円は下ヒゲ出現で一旦底打ち?一目均衡表の雲の下限に支えられるか注目 2022/11/18(金)志摩力男

突発的な動きに注意する時期に【外為マーケットビュー】

動画配信期間:2022/11/18~2022/12/2

目次

0:00 昨日(11/17)の相場振り返り 
0:40 ドル円は米PPI発表時の下ヒゲ出現で一旦底打ちか 140.80円を上抜けなければ不安定な動きに
4:14 ドル円日足一目均衡表 雲の下限に支えられるか
7:10 11/24は米感謝祭・11/23は日本祝日→マーケットが薄くなるので注意
7:38 日本の貿易収支は予想以上の赤字→円が弱い状況が続きそう
8:37 ユーロドル日足 目先は軽いドル安の調整局面に入るか
9:28 ポンドドル日足 一目均衡表の転換点に向かう可能性も
10:43 突発的な動きに注意する時期に突入

月曜から金曜までの毎営業日、外為市場に長年携わってきた5人のコメンテータが、その日の相場見通しや今後のマーケット展望を解説します。

 
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志摩力男 氏
慶應義塾経済学部卒。1988年ー1995年ゴールドマン・サックス、2006-2008年ドイツ証券等、大手金融機関にてプロップトレーダーを歴任、その後香港にてマクロヘッジファンドマネージャー。独立した後も、世界各地の有力トレーダーと交流があり、現在も現役トレーダーとして活躍。

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ドル円は下ヒゲ出現で一旦底打ち一目均衡表の雲の下限に支えられるか注目 2022 11

(****) 日本近代文学館・小田切進編《日本近代文学大事典〔第五巻〕》(講談社、1977年11月18日)の《日本歌人》の項は阿部正路の執筆で、末尾を「現在、〔……〕おもな同人は、石川信雄、宮崎智恵、前川緑、平光善久、山中智恵子、東博、前登志夫、古川政記ら。主要同人の一人、斎藤史は独立して「原型」を創刊、一派をなした。」(同書、三〇八ページ)と結んでいる。このうち石川信雄、山中智恵子は前掲〈歌集「蟠花」評〉に文章を寄せているが、前登志夫や斎藤史は東の歌について、どこかに書いているのだろうか。一方、戦後間もない1947年、《日本歌人》に入会した塚本邦雄は、短歌の鑑賞文つきの詞花集《現代百歌園――明日にひらく詞華》(花曜社、1990年7月20日)に、東の《水蓼残花集》から「二月[きさらぎ]に雪見ぬことのさびしさよ……」を択んでいて、同文の後半で《蟠花》に言及している。

(*) 丸谷才一はこの〈クリムト論〉とは別のところで「〔……〕最近わたしは、クレーおよびクリムトといふ二十世紀ドイツの画家に、正方形の画面に描いた絵が多いことに気がついて興味を持つてゐます。これはルネサンス・イタリアにも、オランダの画家たちにも、フランス印象派にも見られない現象であります。なぜこんな傾向が生じたのか。/いろいろ探つてゐるうちに、野田由美意さんの『パウル・クレーの文字絵』といふ本のなかに、クレーがハイマンの訳した『中国の叙情詩』といふ本を愛読したことが出てゐました。そのなかに唐の韓愈[かんゆ]が何度も役職を失ひ、左遷されて不遇であつたことが出てくる。これはドイツがナチスの支配下にあつて、クレーがデュッセルドルフ美術学校の教授職を失つたことと照応するでせうが、問題なのは韓愈の詩の組み方で、一句が五字、それが十二句のいはゆる五言排律の詩を二句づつ六行並べ、正方形に近い形に組んでゐる。クレーやクリムトはこの詩の訳詩を愛誦するあまり、漢字による正方形の美しさに魅惑されたのではないでせうか。/かういふことを考へたとき、わたしはつくづく、瀬戸川ならこの思ひつきをおもしろがつてくれたらうな、と懐しんだのであります。」(〈新しい問題に挑む知的な人間〉、《別れの挨拶〔集英社文庫〕》、三四四〜三四五ページ)と語っている。これは、2011年3月12日(東日本大震災発生の翌日!)、帝国ホテルで行われた瀬戸川猛資さんを偲ぶ会十三回忌での挨拶。湯川豊は〈クリムト論〉の解題、〈完成しなかったクリムト論〉で「私などが考え違いしていたことがある。丸谷さんのクリムト論の構想は、初めに思ったように一篇のエッセイで済むというのではなかった。予測していたよりずっと規模が大きく、本格的な論考になるものだった。亡くなった後、ご長男の根村亮氏が机の周辺に見出[みいだ]した「構想メモ」をみせていただくと、そのことを読みとることができる。」(同書、五二ページ)と書くだけで触れていないが、私は丸谷の構想が東日本大震災の発生で変更を余儀なくされたのではないかと忖度する。すなわち、震災で亡くなったり被害に遭ったりした人人への鎮魂の想いである。《忠臣藏とは何か》(1984)の作者が、そこに言及しないでいることは考えられない。むろんそれは、本格的な論考である《クリムト論》――クリムトの風景画はなぜ真四角なのか――においてではなかったかもしれないが。

加藤郁乎は、のちに岩波文庫で《芥川竜之介俳句集》(2010)と《荷風俳句集》(2013)を編んでおり、内藤丈草に共感を惜しまない龍之介の句を高く評価している。

アンドレ・ジイド(1869〜1951)は「永遠の視点はジイドとリルケの書から俯瞰される」(〈果物の終り〉?・2)という詩句があるくらいだから、吉岡はそうとう読みこんだと思しいが、ジョルジュ・サンド(1804〜1876)とスタンダール(1786〜1842)への言及はほかにはないようだ。ところで公共図書館は、限られたスペースと予算の範囲内ではあるが、たえず新陳代謝を図って所蔵資料の入れ替えを行っている。そのため、新規の資料を排架するのと同じだけ放出しなければならない。その放出先は主に、関連施設の他館に所蔵を替えるのと、リサイクル資料として図書館利用者に無料で提供するのと、紙という物体として廃棄するのと、のみっつである。多くの館にはリサイクル資料を並べる書棚があって、例えば「一人五冊まで」というような制限はあるものの、自由に持って行っていいようになっている。この棚には図書館が放出した旧蔵資料以外に、利用者が施設に寄贈したが選別の結果、所蔵にはならずリサイクル資料となった本や雑誌(まれにはCD)が並ぶこともある。 2021年の3月某日、練馬区立のある図書館のリサイクル棚に、〈吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕〉で挙げた「宮崎嶺雄訳《笛師のむれ. 上,下巻〔岩波文庫〕》(岩波書店、1937年10月15日・1939年5月2日)」が並んでいた。正確に言うと、上巻は「昭和二十五年十二月二十日 第七刷発行」、下巻は「昭和二十六年五月二十日 第七刷発行」の後刷本で、図書館の所蔵だった資料ではなく、利用者(それも年配の読者)の所蔵だっただろう一本である。むろん、即座に入手した。写真のように劣化しているものの、70年前の発行であることを考えれば、読むぶんにはまったく苦にならない(グラシン紙もない裸本だったので、手近の紙をブックジャケットとして被せた)。この時代の〔岩波文庫〕なら当然だが、本文は正字・旧仮名表記。私は、義務教育で新字・新かな表記の教科書を読まされてきたが、高校のころ、新刊よりも古本のほうが安かったので買った、たしか新潮文庫のヘミングウェイ《武器よさらば》が正字・旧仮名表記だった気がする(手許にないので確認できない)。短歌・俳句は別にして、さすがに旧仮名で文章を綴る自信はないものの、読むぶんにはなんの不便もない。私たちの子供の世代はもちろんだが、私より少し若い年代の人たちも正字・旧仮名表記の本など、たとえ只で手に入っても、読もうとしないのではないか。私は、吉岡実が青年期に愛読した本を(後刷本ではあるが)同じ版で読むことのできる幸福を感じた。

(*) 毛利甚八はその篤実な評伝《白土三平伝――カムイ伝の真実》(小学館、2011年7月6日)で次のように述べている。

吉岡実は、このドラマが放送された前年、1978年の11月に永年勤めた筑摩書房を依願退職している。さらに、この年の秋には「中期」の掉尾を飾る詩集《夏の宴》(青土社)を出している。金井美恵子が描いたのは、そんな悠悠自適の年末の一齣である。昭和の夜には、大河ドラマ=時代劇がふさわしい。

林さんが《ちくま》を担当したのは、2009年と2010年の2年間で、同誌の編集者は青木真次氏。〈ふるほんのほこり〉は長らく雑誌掲載のままだったが、2019年7月26日、書肆よろず屋から《ふるほんのほこり》(限定500部)が刊行された。ブックデザインは、いうまでもなく林さん自身である。同書には連載原稿に加えて、まえがきに相当する新稿〈ほこりを払う〉、あとがきに代わる〈ふるほんは宝物だ〉(初出は2009年1月の《coto》17号)の2篇と、各本文記事の対向に写真(件の〈死児〉だと「『吉岡實詩集』(書肆ユリイカ、1959)口絵写真より吉岡実」)と、〈掲載誌『ちくま』表紙一覧〉という、全24冊の書影が付された。ちなみに所蔵の50番本には、表紙2に林さんの直筆で「栗花落空乱筆いよいよ手が附かず」という句が、署名・落款とともに認められている。

*7 本書刊行後に出た入沢康夫監修・解説の《宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて》(宮沢賢治記念館、1997年3月〔日にちの記載なし〕)は、横長のA4判の本文に「全原稿」「創作メモ原稿」「原稿裏面」をカラー写真で掲載している。入沢はこれ先立つこと20年以上まえ、〈「銀河鉄道の夜」の本文の変遷についての対話〉(初出:《宮沢賢治童話の世界〔日本児童文学別冊〕》、すばる書房、1976年2月)の末尾を「〔……〕/また、流布本とは別に、研究者のための刊本として、全八十三枚の原稿とそれにまつわるメモ類のすべてを写真版にしそれに読み解きを添えた本が出されることも、これだけの内容と多くの問題点をはらんでいるこの作品の場合きわめて望ましいことです。/――それらが揃ったとき、「銀河鉄道の夜」は、完全に万人のものとなるのですね。/――まったくその通りです。」(《宮沢賢治――プリオシン海岸からの報告》、一七七ページ)と締めくくって、その出現を待望していた。私は、詩集《静物》の吉岡実自筆の稿本――吉岡は「わたしの大切なもの」として「詩集《静物》の原稿(これは書下し故に、唯一の原稿の残っているもの)。」(〈軍隊のアルバム〉、《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、四五ページ)と書いている――が写真版(や原本の装丁や紙質まで再現した復刻)の形で世に出たら、どんなに素晴らしいだろうと歎息を禁じえなかった。

まさに時代小説の巨匠たちの代表作である。一方、《面白いほどよくわかる時代小説名作100》の〈第3章 平成の時代小説ブームを牽引する実力者たち〉は山本一力から高田郁までの25人で、それ自体は興味深いものの、昭和が終わった翌年の平成2年5月に歿した吉岡実がこれらの小説家たちを愛読したとは思えない(ここで私が読んだことのある時代小説家は、宮部みゆき・京極夏彦くらいで、本質的にこのジャンルに愛着がないことを露呈している)。ときあたかも、熱烈な讃美者である宮部みゆきの編んだ岡本綺堂《半七捕物帳――江戸探偵怪異譚〔新潮文庫〕》(新潮社、2019年12月1日)が出た。綺堂の《半七捕物帳》は講談社の〔大衆文学館〕という文庫本で読んだが、20年以上も前のことなのですっかり忘れている。さっそく通読してみると、これがじつに面白い。吉岡が生まれる2年前の1917年から連載が始まっただけあって、旧幕時代の語彙など、こんにち見かけない語も登場するが、前後関係から類推できるし、まずなによりも作品の設定、文体の清新さが嬉しい。都筑道夫や北村薫が絶賛しているのもうなずける。吉岡実が大衆文学で「一番好きだった」という《半七捕物帳》[*4]には、今戸、入谷、水戸様のほかにも、吉岡の生まれた中の郷、業平や育った廐橋が登場する。今内孜の編著になる《半七捕物帳事典》(国書刊行会、2010年1月25日)はそうした事項を調べる際の最強の工具書[ツール]だ。ちなみに同書の編集に携わったのは礒崎純一さんである。

江戸川乱歩(1894〜1965)の略年譜には、昭和六(1931)年の項に「平凡社より初の全集を刊行。全十三巻が完結した翌年、二度目の休筆に入る。(三十七歳)」(《江戸川乱歩全集 第30巻 わが夢と真実〔光文社文庫〕》、光文社、2005年6月20日、七九六ページ)とあり、私は吉岡が随想で挙げた乱歩作品は平凡社版全集で読んだものと考えて、かつて《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》にこう記した(平凡社版全集は未見)。

これに対して大岡は、〈あるアンチ・スター――ルイズ・ブルックスの「ルル」〉(《海》1984年1月号)と、その訂正と補遺を兼ねた〈ブルックスふたたび〉(同・3月号)を書き、これらを合わせ、不整合を正したものに多数の写真群を入れて、大判の《ルイズ・ブルックスと「ルル」》(中央公論社、1984年10月20日)として刊行した(本篇の後に、ルイズ・ブルックス作・四方田犬彦訳〈ギッシュとガルボ〉〈パプストとルル〉の2篇を付す)。〈ルイズ・ブルックスと「ルル」〉は全集〔第21巻〕で本文42ページの、さして長文ではない一篇だが、そこは大岡昇平、全集では本篇に続けて収められた、〈わが青春のスクリーン・ラヴァー〉、〈夏川静江 イノセントな眼差し〉、〈ブルックス現象〉、〈「ルイズ」から「ルイーズ」へ〉、〈性と知性のまやかしの魅力〉、とルイ〔ー〕ズ・ブルックス関連の文章をいくつも残している。

〈もろもろの謝辞――あとがきにかえて――〉に登場する工藤庸子編訳《ボヴァリー夫人の手紙》(1986年7月20日)の〈あとがき〉には次のようにある(*4)。

《夏の闇》(新潮社、1972)を満足に読んでいない私でも、〈永遠に一日〉は達者にすぎて、誰かの(それが開高健だったわけだが)圧倒的な影響下にある小説ではないかという疑念はたちどころに浮かぶ。この件を論じた文献に、《文徒アーカイブス》も取りあげている栗原裕一郎《〈盗作〉の文学史――市場・メディア・著作権》(新曜社、2008年6月30日)があり、近年では今野真二《盗作の言語学――表現のオリジナリティーを考える〔集英社新書〕》(集英社、2015年5月20日)がある。今野は[つくられた盗作例]という節でこう述べる。

吉岡宛の絵葉書と飯島に宛てたという絵葉書がそんなに違った文面だとは考えにくいが、この文面からは飯島の談話とはだいぶ異なった印象を受ける。もっとも飯島は、吉岡が〈西脇順三郎アラベスク〉の「13 絵は美しいブルー・お別れ」で「西脇先生がよろよろと、椅子に腰かけられると、緑さんが素早く毛布で、軀を包んだ。久しぶりでお会いする私には、老衰された先生の顔がまるで、お婆さんのように見えた。あたりを眺めやりながら、「このごろは小便をもらす」と、唯一言つぶやかれた。間もなく、ふるえがきたので、寝室へ帰られた。これが、わが詩人との別れとなってしまったのだ。」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、二四七ページ)と書いたのに対して、西脇は「このごろは小便をもらす」などと言わなかった、とどこかで書いていた(いま出典を特定できない)。むろん二人とも同じ処に居あわせたわけだが――吉岡陽子編の〈年譜〉には、1981年11月9日「草月美術館の〈西脇順三郎の絵画〉展へ行き西脇順一夫妻に招かれて十数人で西脇家を訪問し、静養中の西脇順三郎と五分ほど会う」(《吉岡実全詩集》、筑摩書房、1996、八〇四ページ)とある――、しょせん人の受けとめかたはそれぞれだ、ということなのだろうか。それとも単に、たまたま吉岡の席の方が飯島の席よりも西脇に近かった、というだけのことなのだろうか。

太田大八(1918〜2016)は、「戦後、〔……〕デザインの仕事をするために東京に帰って「スタヂオ・トーキョー」を設立した」(Wikipedia)が、その事務所設立の告知のための宣伝をやはり裸に近い女性にさせて警察沙汰になった話を自伝《私のイラストレーション史――紙とエンピツ》(BL出版、2009)に書いていた。吉岡が太田大八と知るのはそのあと、太田さんが絵本を手掛けるようになってからだが、この挿話は聞かされていたかもしれない。吉岡自身、勤務先の筑摩書房では宣伝広告畑を歩んでいたから、大和屋の伝える若松プロダクションの宣伝方法を知ったなら、どんなにか喜んだことだろう。それにしても「馬鹿でかい写真パネルを僕や加藤衛などが担ぎ」とは、《裏切りの季節》の冒頭シーンそのままではないか(*2)。

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