執筆:外為どっとコム総合研究所 神田 卓也
トルコの大統領選・議会選まで2カ月を切った。今月11日にアクソイ・リサーチが発表した最新の世論調査によると、大統領選では野党統一候補のクルチダルオール氏が55.6%の支持を得て、現職のエルドアン氏(44.4%)を10ポイント以上リード。議会選を巡る世論調査でも野党連合の支持率が44.1%となり、エルドアン大統領率いる公正発展党(AKP)の38.2%を6ポイント近く上回った。別の2つの調査(ピア・リサーチ、アルフ・リサーチ)でも概ね同じ結果が示されており、ネット系のアラブニュースは「2月の地震対応の不備とインフレ率の上昇が、与党政府とエルドアン氏の勝利の可能性を損なっている」と報じている。
また、別のメディアはエルドアン政権が苦しい選挙戦を強いられる中、米大手資産運用会社の債券共同責任者が「エルドアン氏が負けるなら、トルコ債は非常に利益の出るトレーディングになる可能性がある」との見解を示したと報じた。トルコで政権交代が実現すれば、同国に海外の投資資金が流入する可能性を示唆する発言だろう。なお、20年に及ぶエルドアン政権下では、異例の経済政策を嫌気して海外投資資金の多くが流出した経緯がある。金融市場は政策正常化への期待を絡めつつ、今回のトルコ大統領選に注目しているようだ。
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株式会社外為どっとコム総合研究所 取締役 調査部長 上席研究員
神田 卓也(かんだ・たくや)
1991年9月、4年半の証券会社勤務を経て株式会社メイタン・トラディションに入社。 為替(ドル/円スポットデスク)を皮切りに、資金(デポジット)、金利デリバティブ等、各種金融商品の国際取引仲介業務を担当。 その後、2009年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画し、為替相場・市場の調査に携わる。2011年12月より現職。 現在、個人FX投資家に向けた為替情報の配信を主業務とする傍ら、相場動向などについて、WEB・新聞・雑誌・テレビ等にコメントを発信。
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トルコリラの焦点 トルコ大統領選まで約2カ月エルドアン政権 苦しい選挙戦に
諸人民の民主党の党名の複数形と、同党がトルコの政党として主張する民主的自治との関係については、筆者は2013年12月に、当時、 ディヤルバクル市中心の旧市街に相当するスル(Sur)区長であり、諸人民の民主党と 民主的諸地域党 を包摂する左派クルド運動の若手幹部の一人だったデミルバシュ氏(Abdullah Demirbaş )にインタビューする機会をもてた。同氏は、この理念の浸透とそれに依拠した組織化が試みられてはいるものの、支持層外はもちろん支持層内でも、しばしば「人民」(halk)とは民族を指すと理解されがちであること、クルド人の抑圧の歴史とそれが故に現在、民族主義が高まっていることを考えれば、そのような理解が根強いことはやむを得ない面もあるが、だからこそ、クルド人が人口的に支配的な東部・南東部地域を中心とした民主的諸地域党とは別に、トルコの全国政党として諸人民の民主党が国政でその理念を主張して民主化と多様性の共存のために活動していくことが重要なのだと述べた。つまり、諸人民の民主党は理論上は、クルド問題・地域だけではなく、トルコ全体について、多様なアイデンティティや集団の草の根的組織化から立ち上げて国政へとつなげていく下からの政治的営みを通じて、トルコの国家主義やトルコ民族主義を解体し、多様性に依拠する市民社会の活性化を通じた民主主義の実践を目指す政党であった。しかし、現実には、そのような理念の支持層への浸透は困難で、それに加えて、2014年秋以降のシリア情勢(特に「イスラム国」の支配地域拡大によってシリアのクルド人多数派地域が脅かされたり、シリアのPKK系列組織が米軍の地上部隊として「イスラム国」らと闘ったこと)や、2015年秋以降のPKKとトルコ国軍の武力対立再燃やその後の政治運動への弾圧強化を通じて、クルド民族主義がかつてなく高揚しており、諸人民の民主党はますますクルド民族主義政党の様相を呈するようになっている(「選挙」の項目の2015年の6月と11月の二つの国会議員選挙の項も参照のこと)。
かつては、全国区政党として成功するにはクルド民族主義色を薄めねばならず、そうすれば中核支持層のクルド民族主義感情に背き、場合によっては離反を招きかねないというジレンマにおいてどのようなバランスをとるかが主要な懸念材料だった。また、トルコのリベラル左派政党という側面を強調しすぎると、敬虔なムスリムのクルド層の反発を招く可能性が心配された。そのため、2014年8月の大統領選に立候補したデミルタシュは、クルド・アイデンティティを全面に出すのではなく、むしろクルドを含むあらゆる抑圧されてきた人々の権利擁護を訴えて支持を拡大した(「選挙」の「2014年大統領選挙」の項目を参照)。しかし、上述の2015年以降の目まぐるしい事態の変化のなかで、そしてとりわけエルドアン政権がトルコ民族主義的で分断を煽る言説を強めるにつれて、諸人民の民主党支持層だけでなくクルド系世論全般においてクルド民族主義が、トルコ系世論のトルコ民族主義の強硬化と相乗するかたちで強まっている。党やシンパの市民活動家をめぐる非常事態的状況が今後も悪化の一途をたどり、軋轢の度合いが極限に達した場合に、そのひずみのエネルギーがどのような形と震度となって現れるのか、想像を絶する状況だといえる。
団塊の世代はもとより、それよりひとまわり若い私の世代にとってもアメリカは「夢の国」だった。1976年にマガジンハウスの雑誌『POPEYE』が創刊されたときは高校生で、はじめて知った西海岸の文化やファッション、ライフスタイルに大きな衝撃を受けた。しかしそれよりもっと衝撃的だったのが、もはやタイトルも忘れてしまったが、深夜テレビで見たアメリカ映画だった。
12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。
バラク・オバマ政権の時代にはEUへ「難民」が殺到して大混乱になった。西側の有力メディアが大きく取り上げるようになったのは2015年9月。トルコ政府が難民のヨーロッパ行きを認めたことが引き金になったと言われている。その難民を生み出した最大の要因はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルといった国々が始めたリビアやシリアに対する侵略戦争だ。
HDPはこれ以前にも女性比率をできるだけ高める方針で候補者を擁立し、トルコ議会における女性議員比率向上の立役者となってきたが、この選挙では当選者の女性比率が4割になるように、候補者リストの順位づけを工夫し、実際に4割を達成した(後述)。また、多様な宗教・民族アイデンティティの候補者を、やはりその多様性が同党選出議員に反映されるような順位でリストを作成し、イスラム的アイデンティティで知られるトルコ系候補やクルド系候補、スカーフ着用候補、宗教マイノリティ候補、社会主義者候補などが実際に当選した。PKK党首オジャランの姪が擁立されて当選した。オジャランという苗字はクルド系メディア以外では長年、「テロリストの首領」「赤子殺し」という形容詞を伴ってきただけに、国民の代表としてその苗字を持つ議員が国会に送られ、さしたる世論や他会派議員の反発が起きなかったことは、PKKとの和平について国民や主要政党が冷静かつ前向きに受け止めている証だと思われた。
4ヶ所ある集中管理源泉(町温泉管理事業第1〜3配湯所源泉と湯沢温泉湯元源泉)の湧出量の合計は、毎分約1,800リットル。これは一つの温泉地の湧出量としては決して少なくはなく、絶対量だけ見れば湯量豊富と言ってもよいレベルなのですが。
また、種々のアンケート結果に直接的に出てくることはないが、政権支持層も含めて、シリア難民がトルコ国民の本来享受すべき社会保障予算を圧迫しているとか、彼らが非正規の低賃金で働くことが国民の職を奪い、彼らの流入した地域の住宅賃料を押し上げているとして、政府のシリア難民受け入れ政策に批判的な声も蔓延していた。筆者が選挙期間中のアンカラで直接目にした例であるが、物乞いのために歩道上に座り込んでいる老婆の前を通り過ぎたとき、ちょうど後ろから追い越していった男性が、「トルコ国民がこうして困難な状況に置かれているのに、シリア人は気楽に暮らしている」と、携帯電話で話していた。こうした不満は時として社会不安の暴力的表出として現れている。たとえば、路上でのちょっとした諍いや、シリア難民が強姦事件を起こしたなどのデマをきっかけとして、住宅街でシリア難民へのリンチ事件が散発してきた。そうした状況がどう改善されるのか、選挙戦で明確なメッセージが発せられることはなかった。さらにいえば、トルコ民族主義的世論からすれば、トルコ軍兵士がシリア内戦で犠牲を払っているのに、シリア難民はなぜトルコで保護されているのか、という不満もある。これはシリア側からすれば、越境侵犯しているトルコ軍が撤退すればいい、ということになりそうだが、トルコ民族主義的世論にしてみれば、シリアとトルコのPKK系クルド系勢力が、欧米諸国と連携して自治や将来的独立を画策していると考えられるため、シリアに軍事介入して現地のクルド系武装勢力を一掃し、シリアでの自治獲得に勢いを得てトルコを含む周辺各国のクルド民族主義がさらに高揚することを何としても防がねばならないのである。つまり、シリアのPKK系クルド勢力の勢力拡大は、トルコの国家安全保障を揺るがしかねない最大級の脅威と認識されているのである。それゆえに、越境作戦による殉職者が多く出ているにもかかわらず、そしてそれ自体は政府にとっては支持低下のリスクを伴うにもかかわらず、シリア内戦後の秩序がトルコのクルド問題との関連で受け入れられるものだと確信できない限りは、もはやそう簡単に撤退できない問題となっている。
当然、体重が落ちれば身のこなしも軽くなるだろうと思っていました。ところが、次第に筋力が落ち、階段の上り下りが以前にまして苦しくなってしまったんです。そんなある日、庭の手入れをしていてトンと尻もちをついたら、それだけで尾てい骨が折れた。入院して検査をしたら、『骨密度が65%しかない。骨粗鬆症です。尾てい骨の圧迫骨折もそれが原因です』と診断されました」
グローバリゼーションが行き過ぎてしまって「産業の空洞化」に苦しんでいるのは、アメリカばかりではありません。あの中国でも、労働集約的な軽産業では、バングラデシュやカンボジア、ベトナムと言った国々に追い上げられて、苦しんでいるんですね。ユニクロの中国工場は、中国国内の人件費が高くなったので中国からは出て行って、これら中国周辺国に工場進出しているのは有名ですよね。
国民投票は事実上、エルドアンが権力集中の度合いを強めた大統領になることをイメージしての、賛否を問う選挙となった。大統領制への移行を問うものではあったが、既存の憲法の限定的改正であり、議会選挙を現行システムから変更するのか(たとえば小選挙区制にしたり、全国最低得票率を下げるなど)どうかなど、権力分立や権力チェックのメカニズムについて細部をつめないまま、従来の首相の機能を大統領のそれに移行・統合させることで後者の権限拡大だけが突出した改正となった。大統領と議会過半数が同一政党に握られた場合、大統領をチェックできるメカニズムは、司法(の一部)や大学学長の人事でさえ大統領の管轄となった今、公的制度としてはもはや存在しないのではないかと思われる。大統領は大統領令を通じて広範な制度設計や政策を実施できる。クーデタ後の非常事態宣言下で反政府的な市民社会組織が多数閉鎖された(前出OSCE報告書(p.3)にはその数が1583に上るとある。)欧米由来の国際市民社会ネットワークのトルコ拠点も本来の批判的市民社会的活動はほとんど停止している。
その政変や軍事クーデターが続いていたトルコで、安定政権の樹立に成功したのが、現トルコ大統領の「レジェップ・エルドアン氏」です。
SPは党首のカラモッラオールを擁立した。彼はAKPにとってもルーツとなる「ムスリム国民の視座運動」(Milli Görüş Hareketi)を母体とする政党に1970年代から参加し、政治家活動の経験も長い。穏健な人柄で、英国留学経験と英国出身の妻をもつため、イデオロギー的分断を超えて協力を模索する状況下では、イスラム的世論と世俗派世論をつなぐ役割が期待された。彼はことさらにイスラムを持ち出すことなく、民主的で公正な国家、多様性を包摂する政治を説くことで、現政権への批判的態度を示し、党派を超えて野党支持層に好感を与えた。クルド問題については、クルド系多数派地域の中心都市であるディヤルバクルで、党の公式政策方針として「クルド報告書」を公表した。そこでは、母語による教育の権利を含めクルド語使用のあらゆる権利が認められるべきであること、クルド系多数派地域の経済開発に特化した政策が必要なこと、PKK問題解決にはゲリラや支持者もトルコ社会の一部であり、彼らを死に追いやることなく平和を実現する方法を模索するべきこと、が主要方針として掲げられた。かつてAKPがクルド系有権者の半数以上の支持を得ていた時期があったことを考えると、クルド系の親イスラム票をどれだけ獲得できるかも注目された。
例えば、トルコの1960年代から70年代は、左翼の労働運動や学生運動と、それへの対抗勢力としてトルコ民族主義やイスラム復興勢力がそれぞれ高揚し、大学構内や街中で抗争や衝突を繰り返すという不安定な時代であった。国会では、経済政策を巡って紛糾しては内閣が交替を繰り返しており、社会不安と政治的麻痺があからさまになっていた。そこで軍部は、1971年に、事態収拾のためには政権奪取もやむをえずとの書簡を政府に突きつけ、内閣総辞職と軍の後押しを受けた超党派内閣の承認を要求し、国会にそれを受け入れさせた。しかし、1970年代には各種イデオロギー運動はますます高まり、新選挙制度があだとなって、国会は小党分立に陥り、またもや政権交代が繰り返されていた。国民生活は年率100%を超えるハイパー・インフレで疲弊し、抗争の激化による社会不安も極大化する中、1980年9月に再び軍部が政権奪取を宣言した。以後、約3年の間、軍部による国家安全保障評議会が政治を行った。
しかし、アメリカ国内にもアル・カイダ系武装集団を使うことを懸念する人はいた。そのひとりがトランプ大統領が国家安全保障担当補佐官に選んだマイケル・フリン。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年8月にシリア情勢に関する文書を作成、オバマ政権へ提出しているが、その中でシリアにおける反乱の主力をサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)だと指摘、西側、湾岸諸国、そしてトルコからの支援を受けているともしている。DIAはアメリカ政府が方針を変えなければシリア東部にサラフ主義の支配地が作られると予測していたが、これはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になった。
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