老舗カレー店 後継ぎは調理未経験
原さん「今調理を担当できる人が実質1人しかおらず、その方も60歳です。私は経営者としてたまに厨房に入っていますが、飲食業未経験のため、後継者を育てないと人手が足りない。できれば中華料理経験者の方に加わってもらって、先代の味を継承しながら、時代に合わせた味にリニューアルしつつ、華山の味を守ってもらえたらうれしいですね」
後継者候補の方には、主に厨房での調理やホールをお願いし、店全体を管理してもらいます。現在の厨房担当は、創業時から30〜40年近くお店を支えてきたベテランスタッフのため、調理法はもちろん、さまざまなノウハウのレクチャーを受けられる環境です。
原さん「いろいろなアイデアは出てきていますが、それを実行するには、自分1人だけじゃできないことも多くて。そういった意味で後継者に早く来てもらいたい気持ちはあるんですが、僕も当面はまだ華山に関わっていたい気持ちがあります。後継者が育つまでの間は一緒になって頑張り、育って任せても良いと思えた日には事業継承も考えています」
6年前から始まった“ある取り組み”が全国で注目されています。絶滅の危機に瀕している絶品グルメを「絶メシ」として登録し、現在、その「絶メシリスト」には61店舗が登録されています。ドラマ化もされるなど注目されている、食べられなくなってしまう「絶メシ」の今を追跡しました。 ■高崎市全体でも…後継者はなかなか見つからず 群馬県高崎市が、後継者問題に悩む飲食店を応援しようと始めた「絶メシリスト」。 他の自治体にも広がり、ドラマ化されるなど全国で注目されています。サイトでは後継者募集も行っていますが…。 JR高崎駅から徒歩5分、創業45年の老舗洋食店「デルムンド」。看板メニューは、パスタの上に分厚いハンバーグがのった「ハンブルジョア」です。「ブルジョア気分が味わえる」と名付けられました。 お店を切り盛りするのは、高橋さん夫婦です。 妻・恵美子さん(72):「(問い合わせの)電話はたまに来るんです。ただ、後継者にしたいとは思わない人ばっかり。『そのままくれるんですか?』って人が多いんです」 実は、高崎市全体でも、後継者はなかなか見つからないといいます。 ■店主が大病患い…「絶メシリスト」で後継者探し そんな中、初めての後継者になるのか?候補者が見つかったお店がありました。 北高崎駅からおよそ1キロにある、創業40年のカレー専門店「印度屋」。駅から遠いにもかかわらず、店内はお客さんで大にぎわいです。 常連客:「30年くらい(通っている)」「他のカレー屋さんとは違う感じで。家でもなかなか、こういうカレーは作れないので」 一番人気は「ミート焼きチーズカレー」。ひき肉たっぷりの秘伝のカレーソースに大量のチーズをのせて、オーブンでこんがり焼き上げた後、仕上げはバーナーで焦げ目をつけます。カレーとチーズが混じり合いマイルドな味わいに。 その他にも、ふわふわトロトロの玉子が乗った「オムライスカレー」も大人気です。 秘伝のカレーソースは、なんと4種類。メニューによってソースを使い分けるのが店主のこだわりです。 こちらが、店主の荒木隆平さん(72)と接客担当の妻の千波さん(56)。 6年前、荒木さんは緊急入院する大病を患いました。娘たちは結婚し家を離れていたため、「絶メシリスト」で後継者探しを始めました。しかし、当時は…。 荒木さん:「焼き鳥店やってるんだけど、2年くらいでダメだから、カレー屋やりたいって。そういう人間は絶対ダメですね」 ■後継者は“本格的な調理経験なし”…なぜ? あれから4年…ついに後継者候補が現れたのです。 周東祐一郎さん(28):「全部おいしかったので、本当にたたむのもったいないと思って」 実は周東さん、3年前から高崎駅近くでダーツバーを経営していますが、一体なぜカレー店に? 周東さん:「(ダーツバーは)楽しいけど30、40歳まで同じテンションでやれるかというと、ちょっと難しい。体がもたないという問題もある」 不規則な生活で体調を壊し、将来に不安を感じたといいます。 そこで、ダーツバーは友人に任せ、昼間に営業する飲食店に挑戦したいと「絶メシリスト」のお店を食べて回り、その中から「これしかない」と感じたのが印度屋のカレーでした。 しかし、不安も…。 千波さん:「料理をしたことがない。包丁もあまり使ったことがない感じだったので、不安だった」 本格的な調理経験のない周東さんを、なぜ後継者に? 荒木さん:「周東さんは若いし、伸びる率が高いから。そこを買った」 そして、決め手が…。 荒木さん:「『支店を出したい』って言うので。印度屋の。僕の夢でもあったので支店を出すのは」 ■一日でも早く…ダーツバーの営業後にも“繰り返し練習” 期待と不安が入り混じるなか、3月から修業が始まりました。周東さんにとって、毎日が学ぶことばかりです。 荒木さん:「パン粉がいっぱいあるから、こうやって練るの。そうすると混ざってくるでしょ」 周東さん:「はい」 荒木さん:「こんなにまとめて入れちゃダメ。全部くっついちゃうよ。バラして入れないと」 当初、周東さんには甘い考えも…。 周東さん:「あるレシピを再現するのは、そこまで大変じゃない。そこまで苦じゃないだろうというのが最初の見通しだった」 しかし、現実は…。 荒木さん:「まずはレシピで覚えてもいいけど、舌で覚えてもらわないと。自分がノート写したりしないと覚えないでしょ」 仕事中に必死にメモを取る周東さん。そこには、レシピや盛り付け方などがびっしりと書かれています。 周東さん:「『入れる前に、はからせてください』って言ってはかって。一個一個作っているのをメモしている」 この日は、一番苦手な卵料理に挑戦します。 周東さん:「オムレツとオムライスが、まだ全然できない」 人気メニューのオムライスカレーやオムレツカレーには欠かせない卵料理。ところが…。 周東さん:「ちょっと形が悪い」 荒木さん:「確実にお客さんにいいもの出してくれ。じゃないとお客さん逃げちゃうよ」 一日でも早く荒木さんに認められたい!深夜、ダーツバーの営業後にもひたすら練習を繰り返す周東さんの姿がありました。 ■胃がん見つかり…店主「もう独り立ちしてもらわないと」 4月下旬、荒木さんからスタッフに「話したいことがある」という連絡がありました。 荒木さん:「4月に胃がんが見つかりまして。5月の末に手術」 健康診断で、胃がんが見つかり手術を受けることになりました。荒木さんは、時間をかけて周東さんを育てるつもりでしたが…。 荒木さん:「もう独り立ちしてもらわないと私も困る」 これ以上迷惑はかけられない!切迫した状況に、これまで以上に真剣に修業に取り組む周東さん。すると…。 荒木さん:「動きが全然違うよ。2週間前と」 周東さん:「ここ2週間の危機感はヤバかったですね」 ■店主“引退を決断” 周東さん「OKもらえたので、まず一安心」 いよいよ修業も最終段階です。 荒木さん:「下をきれいにしてよ。それからオムレツ作ろう」 この日は、オムレツの最終チェック。 荒木さん:「ここを良くやっとかないと」 周東さん:「はい」 真剣な表情で見守る荒木さん。 荒木さん:「中が半熟じゃないと玉子焼きになっちゃうよ」 そして、苦手なフライパンの返しは…。 荒木さん:「うまくなってきたじゃん。あー、うまいうまい」 お店のこだわり、ふわとろオムレツ、荒木さんの評価は? 荒木さん:「中も半熟になってるし、これはいいよ。大分うまくなったよ。大体オッケーです」 この日、荒木さんは周東さんに店を任せ、自分は手術前に引退する決断をしました。 荒木さん:「見てると徐々に伸びてる。動きも良くなってる。あとは経験だと思う」 周東さん:「まず一安心というか、やっとオーケーをいただけたので」 ■40年の歴史に幕 店主「あとはよろしく」 4月30日、この日は娘3人が駆け付け、両親を労うための食事会が行われました。 千波さん:「もちろん後継者が見つかったことは良かったなと思うんですけど。今まで印度屋を築き上げた40年間が、これで終わってしまう寂しさ」 荒木さん:「ほんと色々感謝ですね。うちの家族には」 長女・沙織さん:「お父さん、お母さん。40年間お疲れ様でした」 荒木さん:「ありがとうございます」 その日の夜。 荒木さん:「周ちゃん、あとはよろしくお願いします。できる限り私たちも援助しますから、お願いします」 周東さん:「頑張ります」 ■ついにオープン! 後継者の味を受け入れてくれるのか? そして、ゴールデンウィーク明け、本当の意味での修業の成果が試される日が来ました。 周東さん:「緊張してます」 そして午前11時にオープンしました。すると、新規オープンを聞きつけ、お客さんが続々と…あっという間に、ほぼ満席になりました。周東さんも厨房(ちゅうぼう)で大忙しです。 周東さん:「味、大丈夫だったのかなとは思いつつ」 果たして、お客さんは周東さんの味を受け入れてくれるのでしょうか? 常連客:「(作る人が)替わったって聞いても同じ味」「前と変わらずおいしいなと思ってて。変わったなとは思わない」 周東さんのカレー、お客さんにも好評です。新規オープン初日、64人ものお客さんが来店しました。 周東さん:「やっぱりすごい愛されてるお店なんだなと思って。変わらず来てもらえるように努力をしようと思う」 荒木さんは先週、無事に手術を終え、順調に回復。新規オープンの成功を喜んでいるそうです。
今回後継者候補の募集に踏み切った理由は、「『華山』ののれんを守りたい」と思ったから。
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