閑古鳥から繁盛店へ 社長の声かけ
野菜高騰などのニュースがあるたびテレビに頻繁に登場する、東京都練馬区の食品スーパー「アキダイ」。同区を中心に7店舗を展開し、活気のある接客や品質の良さで、年間39億円を売り上げます。しかし、社長の秋葉弘道さん(55)が23歳でオープンした1号店は閑古鳥が鳴いていました。八百屋の仕事に魅せられた青年はどのように逆境を乗り越え、店を成長させたのか。前後編で迫ります。
初日こそチラシの効果で賑わいを見せたものの、1〜2週間すると、お店には閑古鳥が鳴くようになります。ひどい時には、店頭で1時間半待って来てくれるのがたった1人、というような状況でした。
単純なプラス思考などではない。中井社長の行動と言動の原点には「いつもお客様のために」があるのだ。
秋葉さんが開業資金のため、信用組合に融資をお願いしたときのこと。前に働いていた青果店の社長も「10年に1人の天才だから」と掛け合ってくれたにもかかわらず、200万円の融資を断られたのです。
ミミを逃がしたことがバレて、会社をクビになった。それでも動物に関わる仕事を続けたいと思い、求人広告に出ていた某動物プロダクションに応募したところ、飼育係の経験者ということですぐに採用された。これは「動物のお兄さん」と同じく、テレビ番組に動物を連れていき、出演のサポートをする仕事だった。華やかな芸能の世界に触れ、仕事を楽しんだが、そのうちに、疑問を抱くようになった。「朝早くから現場に連れて行って、出番が深夜ということがよくありました。その間、動物はずっと小さな檻のなかにいなきゃいけません。そのうえ、会社に戻ってきてもそんなに広いとこで飼われていないので、かわいそうだなとモヤモヤするようになりました」 ある日、社長もいる酒の席で、溜まりに溜まっていたそのモヤモヤが爆発。それが原因で、クビ同然で会社を離れることになった。松本さんが今も後悔しているのは、個人的に飼っていたコンゴウインコを会社に置いてきてしまったことだ。
コンピューターが世に広まる速度に合わせて、仕事量は増える一方。結婚したばかりの妻が「残業未亡人」と言われるような状況だったこともあり、1985年、退社を決意した。独立して、松本市のタウン誌を創刊しようと考えていたところ、社長から「辞めてもいいから、あと半年だけ仕事を続けてほしい」と頼まれた。そこで、ロムテックという会社を立ち上げ、仕事を引き受けたところ、新たな気付きを得た。「会社員の時と違って、頑張れば頑張っただけのものがちゃんとリターンとして返ってくるじゃないですか。自分がやったことが評価としてストレートに返ってくる世界なんだなと思ったら、経営者としての面白みが出てきました」ROMにプログラムを書き込む作業は、正確性とスピードを要求される。コンピューターの創成期からその仕事を極めてきた松本さん率いるロムテックはその後、雑誌『日経エレクトロニクス』に取り上げられたこともあり、依頼が殺到。クライアントが多い東京に本社を移し、事業を拡大した。実は自動化が難しい領域で、今も60名の社員と大勢のスタッフが同じ仕事を続けている。
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