「食」目的の観光推進 観光庁

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「食」目的の観光推進 観光庁
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旭川市では30店舗以上の焼き鳥屋 居酒屋等で食べる事が出来ます

新子焼きは、若鶏の手羽を含む半身を焼いて味付けをした北海道旭川市のご当地焼き鳥で、戦後に誕生しました。当時肉は高価な食材で、頻繁に食べられるものではありませんでしたが新子焼きに元気をもらい旭川は復興へと力強く歩き続けました。旭川市では30店舗以上の焼き鳥屋、居酒屋等で食べる事が出来ます。提供している各店、使う鶏肉も違えば焼き方、味付けも様々です。今でも新子焼きは庶民のごちそうとして愛され続けている世代を超えた旭川のソウルフードです。ラーメンの様に、自分の好みの新子焼きを見つけていただけると幸いです。

「石狩鍋」は、生鮭のあらを使い、味噌仕立てでキャベツなどの西洋野菜、豆腐などを入れた北海道を代表する鍋料理です。もとは「だいなべ」と呼ばれる漁師が作業の合間に食べる料理だったと言われています。冷凍技術が未発達の時代に生鮭のあらを使った料理が生まれたのは、鮭漁が盛んな石狩ならではです。また具材に用いられるキャベツなどは明治以降に栽培が広がったもので、北海道の開拓の歴史を反映しています。「石狩鍋」の命名は意外に遅く戦後のことで、石狩の鮭地引き網漁を見るために訪れた観光客に「石狩鍋」と名付けて提供したことに始まります。石狩町によるさけまつりキャンペーンで盛んに宣伝したほか、札幌の料理店で「北海道名物」として取り上げられたこともあり、急速に広まりました。北海道では、家庭ごとに具材やダシのとり方に多くのバリエーションがあり親しまれています。

「おぼろ豆腐」とは、豆乳ににがりを加えて圧搾する前に汲み取った、固まりはじめの状態の豆腐のことです。食感はふんわり、ほんのりとした大豆の甘い風味があり、箸でつかめないくらいの軟らかさです。また「おぼろ汁」は、薄く切った干し椎茸の戻し汁と醤油で調味し、しょうがとおぼろ豆腐を加え、最後に水溶き片栗粉でとろみをつけたものです。ほろほろとした見た目が「おぼろ月夜のもやもやとした状態」に似ていることが名前の由来であり、幕末期に町内の龍渕寺(曹洞宗)の住職であった二十六世大堂俊麟大和尚が京都で会得したおぼろ豆腐の製造とおぼろ汁の調理法を、そのお寺の「わらじぬぎ場」になっていた奥州涌谷の「櫻井屋」に精進料理として伝えたのがきっかけです。食材の入手の容易さやその料理のおいしさが地域に受け入れられたと考えられています。「おぼろ汁」は、春秋のお彼岸やお盆に仏前に供える涌谷町の精進料理として親しまれております。

独特な容姿から南部の鼻曲がり鮭とも呼ばれている「新巻鮭」は、400年以上前の安土桃山時代に大槌(おおつち)で誕生したと伝えられています。当時の城主である大槌孫八郎は「この地の鮭を江戸に運び、大槌の名物にできないか」と考え、美味しく長期保存できる新巻鮭を編み出しました。新巻鮭は鮭を塩蔵したのち寒風干しにした加工品で、現在も昔からの変わらない手作業によって作られる、三陸を代表する伝統的な特産品です。寒風干しによって旨味が濃縮された新巻鮭は贈答品としても喜ばれ、今日も全国各地の食卓を彩ります。大槌町では文化継承活動の一環として小学校で新巻鮭作りの体験学習が行われます。ここ数年、鮭の水揚げ量は減り続け地元の鮭を使うことは難しくなりましたが、新巻鮭発祥の町としてこれからも文化を守り続けます。

宮城県白石市の郷土料理「白石温麺(うーめん)」は、今から約400年ほど前の江戸時代に、白石城の城主・片倉小十郎が名付けたと言われています。通常の手延べそうめんは、麺と麺がくっつくことや乾燥を防ぐために油を塗っていますが、白石温麺は油を使わない製法が特徴です。また麺の長さが約9センチと短く、小さなお子さんやお年寄りも食べやすく作られています。市内には約15軒の白石温麺を提供する店舗と5軒の製麺所があり、400年経った今も市民から愛されるソウルフードとして親しまれています。伝統的な製法の乾麺・生麺は勿論、市内外にも広く召し上がって頂くために、カップ麺タイプやオリジナルのたれを開発するなど、常に進化を続けており、これからも親しまれる郷土料理として文化を守り続けています。

戦後、満州で学んだこだわりの餃子を屋台で出したのが始まりの「円盤餃子」です。市内には50~60年の歴史を持つ餃子店も多く、行列ができる店もあります。昔から、サラリーマンが仕事帰りに利用していたため、現在もランチタイムは営業せず、夕方から営業している店が多いです。一皿20~30個と数が多いため、たくさん食べられるように野菜をたっぷり使用しており、ボリューム満点なのに軽い食感です。味は、あっさりしたものからニンニクたっぷりのものまで多種多様で、ビールとの相性も抜群です!「ふくしま餃子の会」に加盟する各店舗では、バラエティーに富んだ様々な餃子を味わえます。

戦後の復興期に誕生した「小樽あんかけ焼そば」は、昭和30年代に普及し、デパートでの買い物の帰りにあんかけ焼そばを食べるというのが市民の楽しみの一つでした。「小樽あんかけ焼そば」は、よく焼いた麺と多めの“あん”を特徴とするものの、明確な定義はありません。ないからこそ、約70年の歴史の中で各店の創意工夫により、独自の進化を遂げてきたと言えます。近年は、B-1グランプリをはじめとするイベント等への出展や、食品製造メーカーとのタイアップによる商品化などにより、全国的にも知名度も上がり、現在も、市内100店舗以上で提供される市民のソウルフードとして幅広い世代に愛されています。そして、その“小樽の味”を求めて、市民はもとより、観光都市となった本市には多くの観光客が訪れています。地域に根差し、これからも発展し続ける「小樽あんかけ焼そば」は、この先も受け継がれていくべき、小樽市民の味なのです。

同庁によると、23年の訪日外国人旅行消費額(速報値)は5兆2923億円と、コロナ前の19年(約4.8兆円)を上回り、過去最高となった。ただ、訪問先が一部の観光地に集中していることから、食文化を起爆剤に地方にも足を運んでもらえるようにする考えだ。

外国人の関心が高い「食」を切り口とした観光は「ガストロノミーツーリズム」と呼ばれ、世界の富裕層を中心に需要が高まっている。地元の食材をその土地で食べてもらうことで「地産地消」につながるほか、伝統文化の体験と合わせて1回の消費額が100万円を超える旅行商品の開発も期待できるという。

ラジウム玉子は、日本で初めてラジウムが確認された飯坂温泉発祥の温泉玉子。 共同源泉を使用して作る店が多いが、それぞれ卵の仕入先や、源泉につける時間が異なることから、味や食感に個性が宿る。黄身はトロトロ、白身はふわふわの食感で、栄養価も高く、滋養効果満点!お土産としても人気。 また、飯坂温泉の旅館では昔から必ず朝食で出すことや地元のスーパーでも売られ、福島市の食卓文化の1品として長年愛され続けられている。そのため、福島市民は『温泉玉子』とは呼ばず『ラジウム玉子』として呼ぶほど親しまれている。食べ方は、熱々のご飯とともに、だし汁や醤油をかけていただくのが最もポピュラー。 他にも、サラダやパスタにのせる食べ方や、ソフトクリームにトッピングし、グラノーラと混ぜて食べるアレンジ(ラジグラソフト)まで、様々な食べ方を楽しめる。

地元食材を生かした観光誘致として、長野県南木曽町は、昔ながらの宿場町を舞台に、伝統工芸や中央アルプスのジビエ料理をテーマにしたツアーを実施。神奈川県三浦市では相模湾越しに富士山を眺めながら、地元の海産物を楽しめる。熊本県八代市では、地元産のショウガを使った料理を提供している。

一関・平泉には、全国的にも特徴あるもち食文化が今なお受け継がれています。今から約400年前の江戸時代に、当時この地方を治めていた伊達藩の慶弔儀礼式が庶民へと普及したといわれ、冠婚葬祭などの改まった席では最高のおもてなし料理として「もち本膳」が振る舞われます。年中行事や人生の節目などには餅をついて食べる習わしがあり、かつては一年に60日以上も餅をつく日があったとされています。多彩なもち料理の数々も魅力です。農産物や山菜、沿岸地域から運ばれる海産物など豊かな食材を活かしたもち料理が伝わっています。また、戦中、戦後にはくず米に雑穀を混ぜた「しいなもち」を美味しく食べるため、生活の知恵で味の工夫を加えてきました。食べ方のバリエーションは300種類以上とも言われています。

秋田では冬場の食糧確保のため、漬物など保存食を作る文化が根付いており「いぶりがっこ」も、保存食として根付いた秋田特有の食文化です。「いぶりがっこ」は大根の乾燥工程を燻製で行うという秋田独自の製法で造られた「たくあん漬け」です。パリパリとした食感と、芳醇で香ばしい燻しの香り、そして大根の甘みが一体となった独特の風味を持つ逸品です。一般的にたくあんは大根を天日干し後に漬け込みます。しかし秋田の冬の日照時間は少なく、気温も氷点下になることから、大根を屋外に干すことができませんでした。そこで、屋内の梁などに吊るして大根を干しました。囲炉裏の上に吊るされた大根は自然と燻され、その大根を漬けたことが「いぶりがっこ」の始まりとされています。秋田の厳しい冬の中、食を繋ぎながら少しでも家族においしいものを食べさせたいという先人たちの知恵と想いの結晶が秋田の伝統食品「いぶりがっこ」です。

「冷たい肉そば」は、親鶏ダシで醤油味の、冷たい汁そばです。肉といっても、豚でも牛でもなく、鶏肉(親鳥)を使っています。コクのあるダシに負けないようなコシの強い田舎蕎麦が特徴。そばの上には、コリコリとした食感がくせになる親鳥と小口切りのねぎがのるシンプルかつ奥深いそばです。そのルーツは戦前までさかのぼります。当時、河北町で、ちょっと一杯といったら「そば屋」。お客さんがある日、残った馬肉の煮込みをそばにかけて食べてみたところ思いのほか美味しく、馴染みのお客さんたちから注文されるように。つまり、今で言う「人気の裏メニュー」。この料理は、お客さんのリクエストから生まれた料理なのです。その後、馬肉がどこの家でも飼っていた鶏に代わりました。素朴でありながら一度食べるとまた食べたくなる・・・長い間地元の人々に愛され続けてきた故郷の味です。

こづゆは、主に江戸期に北前船がもたらした海産物と会津古来の地場産品の組合せによりできあがった料理です。当時貴重な海産物を保存加工し独自につくりあげた、いわば会津を代表する郷土料理といえるもので、まさに会津の先人が風土に根差した当地固有の料理として創作したものです。その歴史は、江戸後期会津藩八代藩主松平容敬公の参勤交代の折、食べられた『重』という料理がルーツとされます。元々冬期間のお祝い膳に出されていましたが、現在は冠婚葬祭やお正月など特別な日に欠かせないおもてなし料理となっています。伝統工芸会津塗の「大平」という椀に盛られ、「手塩皿」という朱塗りの小皿に分けて食べます。

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