1ドル160円 バブル当時は「歓迎」

1ドル160円 バブル当時は「歓迎」
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1ドル160円 バブル当時は 歓迎

バブル期の世界トップ10のうち5社を占めた邦銀は、企業や個人が金融資産に飛びつく「財テクブーム」を追い風に業績を拡大していた。邦銀の積極的な貸し出しは、その後のバブル崩壊によって不良債権となり、銀行業界は大規模な再編を迫られた。

低金利と財政出動という経済対策パッケージは、為替調整による不均衡解消を狙ったプラザ合意の副産物でした。そして、日本経済に「未曽有の資産バブル」という新たな現象をもたらす媒介となりました。

1989年末に最高値を付けた日経平均株価。バブル経済が崩壊してから低迷を続けていたが、約34年が過ぎてようやく当時の水準を取り戻した。ただ、バブル期と現在では時価総額上位の顔ぶれは様変わりし、かつて世界ランキングを席巻した日本企業は姿を消した。バブル期と現在で株式市場はどう変化したのか。

4月10日の米国金融市場で、ドル円レートは一時1ドル153円台まで円安が進んだ。約34年ぶりの円安水準だ。

時価総額で世界トップだったNTTは、民営化2年後の87年に株式公開。政府の信用を後ろ盾に「値上がり間違いなし」とまで言われたNTT株には投資家が殺到し、株価は初値の160万円から2カ月後には318万円に高騰。過熱する株式ブームの象徴的な存在だった。しかし、87年10月の米ニューヨーク市場の株価大暴落「ブラックマンデー」やバブル崩壊を受け、90年夏には99万円まで下落。多くの投資家が損失を受けることになった。

また、成長ペースを引き上げるための財政政策の出動は、高速道路や橋、空港などの整備に資金を投じた結果として、従来の財政緊縮路線が転換され、国債増発への傾向が強まっていきました。すでに当時から、国債発行に依存する予算への懸念は強まりつつありましたが、産業界などは積極的な財政出動を歓迎しており、アメリカからの強い要請もあって、政府の財政支出は膨らむ一方でした。

米国政府は、先進国による為替介入については、為替操作につながるものとして、基本的には批判的だ。仮に岸田首相の訪米中に日本政府が為替介入を行えば、歓迎ムードに水をさすことになりかねない。さらに、首脳会談後の記者会見で、岸田首相が説明を求められる可能性も考えられた。

ドル円レートは、10日に1ドル153円台まで円安が進んだ後、再び152円台まで押し戻され、円安が一気に進むという事態はなんとか回避されている。これは、FRBの利上げ観測の後退が米国長期金利の上昇や米国株の下落を生じさせ、そうした金融市場の不安定化がリスク回避の円買いを生じさせていることが一因と考えられる。

日銀は1985年に5%だった公定歩合(今風に言えば政策金利)を、1987年には史上最低の2.5%まで引き下げました。そして、それは企業への融資増よりも、カネを借りて株や不動産に投資する「財テク」の動きを加速させました。銀行もまた、不動産関連の融資を増加させていきます。それは「バブル経済」の萌芽以外の何物でもなかったのです。

日本政府は、1ドル152円程度を防衛ラインと考えていると推測されるが、為替市場も同水準で円買いドル売りの為替介入が実施される可能性を強く意識した結果、3月下旬以降、152円に達する直前の水準でドル円レートは長らく膠着していた。

歴史的な円安が続いている。4月末には一時1ドル=160円台をつけ、1990年4月以来の水準まで下落した。当時はバブル景気まっ盛り。85年のプラザ合意後の「行き過ぎた円高」に対処すべく、財政出動や金融緩和を進めた結果が円安をもたらした。いまと違うのは、当時の日本経済には、まだ余裕があった。

実際には、2022年、2023年に円安のピークとなった1ドル152円程度を超えて円安が進めば、円安に弾みがついてしまい、さらなる国内の物価上昇を促すことを警戒していたはずだ。従って、1ドル152円程度は、日本政府の防衛ラインと考えられる。

日本銀行は3月にマイナス金利政策解除に踏み切ったことで、追加利上げという円安阻止に向けた強力な武器を手に入れた。政府と日本銀行が連携し、為替介入と利上げを組み合わせることで、最終的には円安を抑え込むことは可能だろう。この点から、1ドル150円台前半で円安に歯止めがかかると現状では見ておきたい。

しかし、円が1ドル152円の防衛ラインを超えた状況では、いつ日本政府による為替介入が実施されてもおかしくない状況だ。日本政府は1ドル155円程度を第2防衛ラインと考えている可能性があるが、円がその水準に接近することを待たずに、介入に踏み切るだろう。

一方、日本では、日米間の不均衡を解消するための大幅円高が「円高不況」を生んだことに注目してください。不況対策としてまず日銀が積極的な緩和政策に転じました。金利を引き下げれば、企業は投資を行いやすくなりますし、家計にとっては住宅ローンなどを借りやすくなります。また内需拡大を迫られた政府は、公共事業の拡大など大幅な財政政策を採用しました。こうして積極的な円高不況対策は、その後取り返しのつかないバブル経済へと日本を追い込んでいったのです。

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