ドミノ・ピザ なぜ閉店ラッシュ

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ドミノ・ピザ なぜ閉店ラッシュ
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その点 ドミノピザの店舗管理は昔から定評があります

圧倒的に強かったパイオニアのドミノピザ。他チェーンを打ち負かすための戦略として求人対策がありました。デリバリースタッフを大量に集めないことには事業が成り立たないので、高い時給で大量募集していました。おかげでドミノピザはリクルートの求人誌のいいお客さんでした。求人誌に巨大な求人広告を常に掲載していました。しかもどの時給よりも高い時給で、、、。そこで競合店は人件費の高騰についてこれず閉店に追い込まれていったのでした。店舗売上が一際高いドミノピザしか成り立たない時給だったのです。

西川口に関東初出店をしていた仙台発の「ストロベリーコーンズ」はなかなか店舗を首都圏で増やせなかったのですが、90年代後半に店舗を急激に増やしました。ダイエー系であるマルエツの子会社が運営していた「アイディッシュ」もオペレーションは優れていたのですが、やはり97年に一斉に直営店12店舗をクローズの憂き目に遭っています。ピザハットは店舗数も多く、ピザーラに次ぐ店舗数を構えていました。店舗単位の売上も高くいのですが、ケンタッキーにとってのピザ事業は全然儲かっていませんでした。ケンタッキーの利益をピザハットが吸い込むような状況がズ〜っと続いていました。ドミノピザもピザーラの攻勢にあい、チカラを落とし、仙台や福岡などの地方店舗を複数閉店してしまいました。しかし、2000年までは成長期と言っていいのではないでしょうか。

ドミノピザの創業者はハワイ生まれ日系3世の”アーネスト・エム・比嘉”さんです。そしてアーネスト比嘉さんのお姉さんは日本にピザを輸入しているJCフーズの大河原愛子会長 です。当初、ピザのトッピングにしか使用されていなかった「イタリアンソーセージ」や「バジルソース」などはJCフーズしか持っていなかったのでワタクシ自身もJCフーズのお世話になっていました。主にドミノピザに使用されていた食材でしたのでどうしても味がドミノピザに近づいていったのを覚えています。そしてJCフーズの大河原愛子会長の旦那さんが、日本ケンタッキーの設立メンバーで社長も務めていました。そのケンタッキーは「ピザハット」を運営していました。「ドミノピザ」と「ピザハット」はいとこの様な関係でした。ドミノピザの売上上位店舗のすぐ近くにピザハットが出店するのはよく目撃されました。売上情報はきちんと掴んでいたのでしょう。かたや、「ピザーラ」を運営する浅野社長の妻である幸子さんは、「秀和レジデンス」などのマンションを手がける不動産大手の秀和株式会社の社長の娘でした。とんでもないお嬢様を妻にした浅野氏は慶應出身でしたし人脈に困ることはなかったのではと思います。大河原一族とは関係ない様ですが、ビジネスを大きくする素養はすでに備わっていたことに間違いありません。

パッとしていないドミノピザは業界3番手まで落ちていました。しかし、ドミノピザは外資系ファンドの手に渡り、生まれ変わりました。莫大な資金を手にしたドミノピザは再び出店攻勢に出ました。コンビニ跡地などに出店し、良い立地と広い店舗を手に入れ、テイクアウト攻勢に出ました。テイクアウトは実質半額という価格とTVCMで、ピザは「ドミノピザ」というブランディングを作り上げ再び店舗数日本一に返り咲きました。ドミノピザのこの戦略は、オペレーションなどの店舗管理を重視しているからこそ、すごくメリットがあります。デリバリーピザは他の業種と違い、お客さんが店内に入ってくることはありません。それがどういうことかと言うと、、、お客さんの監視の目がないとお店が荒れてしまうのです。デリバリースタッフを中心としたスタッフなので若い男性スタッフが多く、クリンネスの点で落ちてしまいます。そこで、テイクアウトのお客様が店内に常時入ってくるような状況を生み出せば、店内環境が維持できるのです。一昔前のデリバリー店はホントに店舗管理の点から総崩れして従業員の質の悪さから閉店に追い込まれているのです。その点、ドミノピザの店舗管理は昔から定評があります。

売上アップに欠かせない宣伝広告の点ですが、バブル時期のこのタイミングではほとんどのデリバリー店で薄いA4チラシの「新聞折込」しか実施していませんでした。しかし、ドミノピザなどは莫大な宣伝広告費をかけて戸別に「ポスティング」をしていました。その違いもあり店舗別の売上に大差が付いたのです。

1985年、東京恵比寿に日本のデリバリーピザ1号店である「ドミノピザ」が誕生しました。とにかくバカ売れしていました。恵比寿という場所柄、当時のデリバリースタッフは英語が話せるスタッフも多くジャニーズのようなイケメン揃いということでメディアにも登場することが多かったです。記憶に残っているのが、当時「オレたちひょうきん族」という大人気番組でビートたけしがデリバリーピザをパロディとしてコントをやっていたものですからデリバリーピザの認知度は爆発的に上昇しました。そのコントの内容は、当時謳っていた「ピザを30分以内にお届けします」というお約束を、ビートたけしが必死に妨害してピザをタダで手に入れようとします。しかし、ピザの配達員は必ず時間を守ってみせるというコントでした。そこから「30分以内にお届けできなかったらタダ」というウソが広く知れ渡ってしまったのでした。それにしても、ドミノピザ恵比寿店の売上は月商で3000万円とも言われており、ケタ違いに忙しい店舗となっていたのです。もちろん配達するバイクも台数が20台は超えていきます。なので当時は、「インストア」「デリバリー」スタッフ以外に「パーキング」スタッフという駐車専門の係が常駐していたのです。

2023年に宅配ピザ業界で初めて1000店舗を突破したドミノ・ピザで、「閉店ドミノ」と呼ばれる現象が話題となっている。

ドミノピザを筆頭にいろんな企業がデリバリーピザに参入しました。大資本のトコロでは、フジサンケイグループの「ディノスピザ」。スロット機製造のユニバーサルが手がける「ピザステーション」。ファミリーレストランの「ロイヤルホスト」は駐車場に小屋を建てて、室内にデリバリースタッフが待機していました。しかし、「ディノスピザ」はノウハウに乏しく、ドミノピザへ売却しました。「ロイヤルホスト」のピザデリバリーもノウハウが足りなく、堕落した店舗となってしまいました。「ミスターピザ」もブームに乗り出店していましたが、撤退していきました。29分で配達する「ピザウィリー」という猛者も現れました。全国に店舗を増やしたのですが、今では10店舗ないのではないでしょうか。。。その点、「ピザステーション」は「ドミノピザ」と双璧をなすべく奮闘していました。この2ブランドは全店直営を貫いていましたので徹底したオペレーションで店舗管理もきちんとしていました。しかし、強かったピザステーションも徐々に崩れ始めてきました。ドミノピザとの出店競争で店舗は作るのですがなかなかOPENできないのです。人材が足りなかったのです。そしてピザステーションはOPENできないかなりの数の店舗を他チェーンに売却しました。ピザステーションは親会社がスロット機器製造で莫大な利益を出していたので、デリバリーピザにあまりチカラが入ってこなくなりました。一方、地方ではローカルチェーンも誕生していました。

アメリカに目を向けると3大ピザチェーンは「ドミノピザ」「ピザハット」そして3つ目が「リトルシーザーズピザ」です。「リトルシーザーズピザ」の日本での展開は北陸の新潟から始まりました。ピザカリフォルニアからの看板替えでスタートしました。関東では神奈川の平塚に同じくピザカリフォルニアの看板替えでスタートしました。オープン当初こそ売上は好調でしたがやはり徐々に衰退していきました。アメリカ本社からの資本は入ってなかったようですので拡大していくことはなかったのです。一方、ピザーラの強さは変わらずでしたが、デリバリーピザも成熟期に入り、前年売上を上回ることが難しくなってきました。そして、商品バラエティにも限界が見えてきていました。ピザ生地やピザエッヂ(ピザのふち)にチーズを挟んだり、薄生地にしたりといろいろ考えられてきました。でもそれはやはり既存の設備を使用したものに過ぎませんでした。そこで、登場したのが石窯でないと焼けない「ナポリピザ」の登場でした。ホントにイタリアナポリから来た本格的なピザのデリバリーです。従来のピザはアメリカのふっくらタイプの生地が基本となっていました。ナポリピザは小麦粉、塩、水だけで作るシンプルな生地で風味と食感が特徴です。店内に石釜を設置した「ピザサルヴァトーレ」が登場しました。

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