99円の壁も カット野菜業界が苦境
61。紙を減らして電子パンフをタイムリーに印刷 先日、ある組織で「旅行で行きたい都道府県」というアンケートを行った。アンケートの景品は、投票された都道府県へ抽選でご招待するという物だった。アンケート集計の数字は覚えていないのだが抽選を行う段になって愕然とした。我が県「岡山」に寄せられたハガキが極端に少ないのだ。北海道の担当者の前にはそのハガキが20センチも積まれている。他の都道府県もそれなりに高さがある。ところが私の前にある岡山県への投票ハガキは、1センチの厚さすらない。なんとも情けない気持ちに陥った。後日、県の観光連盟の会議でその件を話題に出した。「我々は、今まで何をやってきたのでしょうね?」県のイメージを聞けば「マスカット、白桃、瀬戸大橋、倉敷」と言う答えが返ってくる。フルーツは、取り寄せればどこでも食べれるし、瀬戸大橋は、四国への交通手段だし、倉敷は、見学だけで通過されるし・・。今まで観光PRとして行ってきた県のイメージづくりそのものに問題があったのではないだろうかと。行政の考え方を質すと「広範に継続的な宣伝活動を行ってきた」というお答え。その結果が僅か1センチにも満たないアンケートハガキの厚さだ。何か足らない。知恵と工夫とビジョンが足りない。十年一日のごとく同じ事を繰り返す「広範に継続的」とは、その意味だ。結果が見えない方が後々良いから目立った事は行わない。一度良い結果が出ると次が困る。その結果、毎年中身が同じでデザインだけが変わる観光パンフレットが県や観光連盟、そして地域ごとに二重三重に膨大な量のパンフレットが作られ続ける。作るだけ作っても配り所がないので半分は捨てられる。本来、外の人に読んで貰いたい印刷物が私たちの所に大量に配布されてくる。一部を残して大半は、ゴミ箱に直行させる事になる。昔の戦争みたいな数打てば当たる的な宣伝(その大半はゴミ箱が目標)は、必要ない。情報を求めている人に届く方法が何故出来ないのだろうか?一方、直接おもてなしする私たちも情報は、持つ必要がある。個人旅行が主体となった今、お客様の目的は多様であり宿泊客の多くは、チェックイン時に翌日の予定が決まっていない。その日の天候や宿からの情報を拠り所にしているのだ。しかし宿泊施設には、大量の紙モノは、置く場所もなければ保存場所もない。解決方法は、電子パンフレットだ。必要な情報を必要とする時にプリントアウトして渡せれば無駄がない。電子パンフレット自体は、既存の情報を利用する処から始めれば初期の予算は、ほとんど必要ない。パソコンが使える旅行者であれば旅行の計画段階で利用して頂ける。着地型とか誘導型とかいう垣根のない実用性の高い観光情報発信になる。インフラの整備は、ある程度必要になる。今やパソコンやネット環境がない所は、無いと思うが官公庁などの観光案内窓口や案内サービスを行うホテルや旅館のフロントにパソコンを置いて頂く必要がある。パンフレットの印刷代が削減できた部分でプリンター用紙とインクを支給できれば、それぞれの窓口も嫌がらないだろう。 課題としては、膨大な情報からタイムリーな情報を旅行者の趣向にあった形で検索できるシステムの構築だ。地図やイラストマップからの検索、利用交通機関や季節やイベント情報、天候や移動時間、温泉やレジャー施設での検索などそのシステム造りについてはかなり予算も必要となりそうだ。
2。 GW直前にこの原稿を書いているが、テレビのニュースが気になってしょうがない。暫定税率復活直前でガソリンスタンドに長い列、ガス電気料金の値上げに小麦粉等、食料品全般の値上がりが加速するという話題をアナウンサーが伝えている。こんなニュースを見せ続けられたらお客さんのGW気分も興ざめだろう。われわれ観光地としてもGW後に危機感を感じる。景気の低迷に加えて物価の上昇となれば消費者は不安感から生活防衛に動く。となれば一番に切り捨てられるのはレジャー費の削減だろう。人々が満ち足りさらに明るい未来が見えている時は観光地も繁盛する。しかしその逆の時は低迷してしまう。観光地間や旅館でパイの取り合いとか細かい事は有るにしろ、これは真実だと思う。 私の町、湯原温泉の歴史をたどってみても時代の波を乗り越えてきた事が良く判る。江戸以前の時代はたたら場の湯治場として、江戸時代から明治の始めは、歓楽的な温泉地、明治中期から戦前までは湯治場、戦後は、団体主体の歓楽的な湯街、昭和の終わり頃は老人旅行主体、五年ぐらい前は、家族カップルの湯街となり、現在は、日帰り家族旅行・・と言うような案配だ。 さて二〇〇八年五月のオイルショック後は、どのような温泉地になるだろうか。今後、ガソリンの値段が安くなる事は考えにくい。環境問題もありヨーロッパ並みの1リットル二五〇円〜三〇〇円なんて事もありえる。遠距離の自家用車旅行は、仲間を誘って燃料代割り勘の小グループ旅行がブームになるかも。格安バスツアーの時代かも等とも考えられる。食の地産地消も今まで以上に求められるだろう。いずれにしても観光地や宿は、今まで以上に工夫が必要になる。個人旅行に慣れた(我が儘に慣れた)お客様が再びグループ化するのだから昔の団体旅行とは違う。グループで来るけれど食事の内容も異なれば団体行動もとらないお客様だったりするのかも。逆に団体旅行にお客様が慣れてくると言う事も考えられる。そうなれば昔の団体旅行の復活なのだろうか。時代は繰り返すと言う言葉もあるし・・。GWが明ければ考える時間はたっぷり出来そうだ。いろいろな宿泊プランを作って手軽なネットで販売し当たりを見てみようと思う。 あれこれ考えながら原稿を書いていたら途中で寝てしまっていた。朝一番のテレビのニュースも暫定税率復活と食料品値上げ等の不安を煽る話題が中心だった。ここ暫く景気の面でも明るい兆しが見えない。今感じているこの感覚は、昭和四七年の第一次オイルショックの時に感じていたモノによく似ている。四七年との違いは、あらゆる物価が上る強烈なインフレでも消費は減少しない状態だった。青春時代と初老を迎えつつ身体との違いからくるのかも知れないが今の時代感覚は、社会全体にブレーキが掛かっている様に感じるのだ。地球温暖化防止などへの環境問題、地球規模での人口爆発と資源の分配などを考えればこの傾向を受け入れなければならない状況はやもおえないのだと思える。有る意味、この状況に順応してさらにその中にあっても幸福感を見いだせる精神構造だったり社会構造に移行する過渡期に有るのだと感じている。右肩上がりが普通の時代は終わったにしても幸福感が有ればあれば我々の生き残る道は有る。
ヘアスタイルを気にする歳でもないが、どこでも良い様なものの床屋さんだけは、お決まりの、町の散髪屋さんと決めている。あれこれと、注文をつけなくても、黙って座れば、いつものように、ちゃんと仕上げてくれる。横着者の私には、快適な時が過ごせる、貴重な場所だ。その散髪屋さんのご主人曰く、宿泊業における一泊二食付きの旅館と泊食分離のホテルとは、ちょうど美容院と理髪屋さんとの関係に似ているそうだ。理髪屋さんは、カットから、洗髪、髭剃り、整髪、そして耳掃除、マッサージまでセットになっていて、いたせりつくせりと彼にいわせれば、旅館と同じだという。一方、美容院の方は、髪の、カットから、セット、洗髪、パーマ、その他諸々、全て積み上げ型の単価設定であるのでホテルに似ているという。なるほどと、肯いてしまった。旅館における、泊食分離の考え方が、最近インターネットでの予約のを受けやすさから注目されているがこの考え方そのものは決して新しいものではなく先進的な宿では結構古くから、取り入れられていた。20年程前に、ある先輩の旅館で客室に料金表が備えられていてその中に、宿泊代、7000円、夕食、5000円、朝食、1000円、などと、細かく記載してあったのを覚えています。当時としては珍しいことなので、その先輩に分けを聞くと、夕食の料金を、ハッキリさせて、その内容を、理解頂く為と言う事でした。とかくお客様は、1泊2食付きの料金が13000円なのに何故か夕食の内容が、13000円の料理と誤解される向きがあったからです。お客様には、あくまでも夕食は、5000円の料理ですよ、と言うことを認識して頂くために、料金表を客室に備えつけたと言う訳です。1泊2食付きでいくらでもお客さまがきた時代に、これはかなり進んだ考え方でした。極まれに、対応しなければならない夕食なし又は朝食なしのお客様に対しての説明用という意味もあってのことで現在のように積極的に、宿泊のみのお客様を、とると言うことではなかったのですが。小さな宿が集合する。温泉街にあって多様化するお客様のニーズに応える為にこの泊食分離の考え方を、取り入れていくのも、ひとつの積極的な方法かと思っています。それぞれ旅館の夕食メニューを交換しあってホームページで公開して予約を取る。宿泊は、うちのホテルでして頂き、夕食は、カニ料理なら○○旅館へ、山菜料理なら、××旅館。さすがに、当日の対応では難しいと思いますが、インターネットを利用して事前に宿泊と食事の希望を頂くようにすれば、効果を上げると思います。この方法なら、自由度が高まり保養目的での長期滞在にも、たやすく対応できると思えるのだが、如何でしょう。しかしこの方法、コンビニの有る温泉町にはあまり適さないかも・・。近々、私の宿で、実験的に行ってみるつもりです。料理に個性のある旅館が多いので、メニューを集めるのがとても楽しみです。スッポン料理に山菜、海鮮料理・・これにうちのホテルの、洋食が加われば・・「何でも有り」です。6月中には、ホームページ上で、公開しますので、お暇な時にご覧ください。
73。エコディーゼル燃料「EDF」その後? 最近は、インターネットの宣教師から「エコおじさん」になってしまった。うちの組合のバイオディーゼルと製材所の木くずから作られる木質ペレットや燃料の木質エタノールの実証工場など視察が次第に増えてきたのだ。俗に言う産業観光と呼ぶコースだが、その中にしっかりと組み込まれている。主に地方自治体の議員さん達の視察だ。 8月の原油の値上がりにより軽油の値段も125円まで高騰、天ぷら油を精製した代替え燃料「EDF」は、普通、軽油に20%混ぜた「B20」と言う規格で作られている。その場合、32円程度の軽油税が掛かるので通常の軽油との価格に大きな差は発生しない。ところがうちの場合は、「B100=100%」で利用しているので軽油税は掛からない。現在、1リットル75円で組合員にのみ利用してもらっている。軽油の高騰で50円の価格差が出てきたのだ。旅館組合としてこのEDF事業を始めた目的は、「温泉は自然の恵みであり、EDF事業は自然への恩返し」という「エコロジー」と言う視点であったのだが、同じエコでも「エコノミー=安い燃料」という次元で飛びつかれたのでは面白くない。特にテレビ等で取り上げられる都度、視聴者から「安い燃料を売ってくれ」と問い合わせがあり少々戸惑っている。とは言うもののお陰で地域での認識は高まった。8月からは、市の協力で地内28ヶ所のゴミステーションに廃食用油回収の為の容器が置かれた。そこでの回収状況も順調で当初予定の月一の回収では間に合わず早々に満杯になり急遽、回収に赴く必要が生じるなど供給面でも拡大している。非常に結構な話なのだがここまで話が広まるといつまでも旅館組合だけの事業という訳にいかなくなってくる。来年には、EDFも規格化されると言う話もあり、今後はその点を睨みながら方向転換して行く必要もありそうだ。 エコロジーの視点では、もう一つ面白そうな事ができそうだ。EDF精製の過程に置いてアルコールを使用するのだが通常メタノールが使用される。これをエタノールに変えて精製する案だ。メタノールは、石油から作られておりエコロジーの視点から少々面白くない。地内には木質エタノールの実証プラントがありそこで製造されるエタノールは純度99.8%なのだそうだ。EDF精製時に水分は大敵でアルコールの純度が悪いと精製できない。通常流通しているエタノールは純度95%程度の物であり、これを利用する為には特殊なフィルターで純度を上げる必要があるのだが木質エタノールだとそのまま使用できる。この木質エタノールは現在、市の公用車の燃料としてガソリンに3%混ぜられた「E3」として利用され走行試験を行っている。これをバイオディーゼル燃料にも使わせて頂こうと提案しているのだ。これがかなえば100%バイオと言い切れるEDFとなり地域内で連携した新たな試みとして全国初の事業と言える。
私の町には共同で使う無料の露天風呂があります。たたら製鉄の時代からと言いますから太古の昔からみんなで守って来た自然の露天風呂です。川底の砂を噴き上げながら湧き出しているので砂噴き湯とか砂湯と呼んでいます。最近まで私たちはお客様に「どうぞご自由に・・」としか案内していませんでした。そこでは地元のおじちゃんやおばちゃんが「温泉指南役」を自然にしてくれていました。その為、宿屋の人間は特に何の案内をする必要も無かったのです。始めていったお客さんは、そこで入浴のマナーを嫌でも教えられます。「コラコラ、そこのお兄ちゃん、上手(上流)から入るのは駄目だよ、湯が汚れるじゃないか、湯尻から入ってきなさい。」こんな具合です。湯尻とは湯を捨てている部分の事です。まずこの部分に入り身体の汚れを流してから順次、上流に上がっていくわけです。これなら多少混雑してもお湯は清潔に保たれます。温泉は川底の砂の間からドンドン噴きだし下流へ流れています。これを守れば一度に大勢が入っても湯は清潔さを保てます。ところが最近は、温泉を自由にポンプを使って送れるようになったものだから町のあちこちに洗濯場と称して観光客にはご遠慮頂く「川湯」を造ってしまったのです。元より湯は、いくらでもあります。当然家から近いものだから指南役をしてくれていたおじさん達もそっちにいってしまい、本家の露天風呂に行かなくなってしまった。さてこれが困った事になりました。ルールを知らないお客さんが、勝手気ままに利用されたのでは荒れてしまいます。生活や湯治の為のお風呂がカップルの混浴風呂になってきたのです。若い人は、水着で入ろうとするし「湯尻」なんて言葉も知らない。いきなり上流からドボンと入ってきたりして銭湯でも当たり前の掛け湯さえ知らない様子。塩素の錠剤でも投げ込んでやりたい気持ちですね。「こりゃ困ったモンだ」と言ったところです。ここは昔の頑固親父に頑張ってもらって温泉指南役の養成を考えなけきゃいけない。とりあえず管理された観光用露天風呂と湯治(本物)の露天風呂の違いから利用者に教えることになりそうです。 今、各旅館や飲食店で配る「露天風呂入浴指南」の作成に取り掛かっています。温泉の歴史や効能を知りその使い方も理解する、この事を手がかりに普通でない事の有り難さを説いていきたいと思っています。最近考えている事は、「温泉街は、その湯量によって適正な規模が自ずからありそうだ。」と言う事です。決して無理をしてはならないし守りの体制もとる必要があると考えています。
消費不況が深刻になる中、軽快に疾走しているものがある。とっくに成熟市場と思われていた自転車市場が、いま拡大しているのだ。1998年から縮小し続けていた自転車市場は、2007年に10年ぶりに拡大に転換。2008年にはさらに伸びが加速し、前年比21%増の735億円を記録した。世界的な金融危機のあおりを受け、自動車やオートバイ市場が急減速するのとは全く逆の動きを見せている。この背景には、ガソリンの高騰や、環境や健康への関心の高まり、それに技術の革新などがある。時代の追い風を受け、疾走する自転車、大復活の最前線で台頭する新たな動きを追う。
カット野菜、どれくらいの頻度で使っていますか?
ちょうど1年前の9月15日、世界を震撼させる出来事が起きた。巨大投資銀行リーマン・ブラザーズが破たんしたのだ。負債総額は米国史上最大の64兆5000億円。 「リーマンショック」と呼ばれ世界中に激震を与え、各国の株式市場が暴落する事態に陥った。多くの日本企業もリストラや賃金カットが吹き荒れ、経済状況は一変した。一昨年のサブプライムショックから、番組ではシリーズ企画・「マネー動乱」として、世界の金融・投資マネーの動きを追跡してきた。第4幕となる今回は、リーマンショックから1年が経った今、再びあぶりだされてきた金融の闇、いまなお続く被害の実態をえぐりだす。失業率が10%に迫るアメリカ。再び莫大な利益をもくろむ「強欲金融マン」たちが跋扈し始めていた。そして、日本でも大切な老後資金に損失が生じ、人生プランが狂った人々の実態が少しずつ明らかに。リーマンショックから1年、激変した金融の世界で、同じ過ちは繰り返されるのか?人々の生活の目線に立ち、その行方を見つめる。
インターネットの世界での時の流れは、「ドック・イヤー」と言われます。犬は、人よりも7倍早い「時」の流れの中で生きていてインターネットに代表されるデジタルの技術革新は、丁度、犬の時間と同じスピードで行われていると言う事だそうです。ITへの取り組みが1年遅れるとデジタル世界では7年遅れたと同じなのだそうです。でもこの話には、「オチ」があり「ドック・イヤー」と言うのは、あくまでも技術の進歩の話であって例えば、1年型式の古いのパソコンを買うのは、昔で言えば7年前のパソコンを買ったのと同じという程度の話でそのパソコンを扱う人間は、結局その時の流れについていけない。使い慣れた古い知識に固着するとその概念に囚われ、時代に取り残されてしまう。常に新しいモノにチャレンジしない限り「時」に取り残されるという意味が真意です。パソコンを「今」から勉強される人の方が結局は、古い人間を追い越していくのです。私のように古くからパソコンを使っていた人は、大様にして「今」便利良く使っている技術に囚われ、余程の好奇心に強い人でない限り新しい技術に取り残されてしまいます。例えば、かつてパソコンのオペレーションシステムと言えば「MS-DOS」が主流になっていた時代(1995年まで)があります。私もその技術にどっぷりと浸かっていた人間なのですが、突然、現れた「Windows」に過去の知識は、根こそぎ遺物となる経験をしました。それまでの十何年間に覚えた過去の知識は、リセットされ(全て「無」)となり、僅かに考古学的な意味しか成さないような気分を味わいました。その時は、インターネットという新技術が付加されていたので何とか移行する意欲が湧きましたが現在のような緩やかな変化には、「ゆで蛙」状態です。劇的な変化で無い限り人を動かさない(その気にさせない)のかも・・。そんな事を考えている「今日、この頃」。
62。観光と環境問題 時代は、観光から旅行へ かつて観光ブームだった頃、全国各地で観光開発が競って行われた。山を削り海を埋め温泉を掘った。そこに大型のホテルが建ち多くの観光客が訪れるようになった。観光バスを入れる為、道路も拡張された。時代が移り観光は衰退していった。観光地にはむき出しのコンクリートが残った。 と極端な敗退の話は別として最近感じることは、言葉遊びかも知れないが人の流れは、「観光から旅行」に移行した様に感じると言うこと。値段やムードだけで釣られて連れられてくるのが観光客、自分の意志でお越し下さる方は旅行者と言うのだそうだ。今や観光バスを連ねてお越し下さった観光客は、(湯原温泉には)もういない。それに変わったのはカップルや家族連れのお客様。これは自分で楽しむ場所を決め宿泊地や施設も自分で決めるから旅行者という見方をするのだそうだ。観光客は、過密な観光のスケジュールが決められているので宿から出て路地裏は歩かない。観光客では宿以外に直接は潤わない。旅行者は、時間に余裕があるから路地裏を好んで歩く。従って町全体が潤うのは旅行者が多い町の方だそうだ。観光客の為には大型バスをスムーズに通す為の大きな道が必要だった。山を削り川に蓋をして道路は造られた。利便の為に自然を破壊し景観を犠牲にしなければ成らなかった。しかし今は、旅行者が旅の主役になってきた。旅行者は、自然や景観など環境の良い場所を好む。今や環境を犠牲にして観光振興に走るのは時代錯誤としか思えない。 今年は、多くの地域で町村合併が進められた。その中で多くの温泉地がこの合併で困った事態に陥っている。今まで小さな町や村の中でそれなりにコンセンサスを得ていたこの「観光から旅行」への流れが合併による行政の新たな括りの中で理解されず地域再開発のムードの中で亡霊のごとく観光開発という言葉が浮上しつつある事だ。観光は、地域振興の掛け声として唱えやすい。合併により地域の声が届きにくくなった時、過去の経緯を知らぬ首長や主権争いする議員に道具として使われやすいのだ。合併以後、私の所にも多くの新しい市会議員がお越し下さった。そのほとんどの議員さんが観光振興とか「観光バスでワンサカお客さんを寄せられる」施設のご提案をお話された。その多くは、市の財産となった広大な土地に大きなレジャー設備を作り観光の目玉にしようというアイデアだった。私は、この「観光客から旅行者」への流れのお話をその全員の方に伝えさせて頂いた。確かにお客様には、まだまだお越し頂きたいのが本音だがここ数年微増とはいえ善戦しているのは、ある意味観光から視点を変え町本来の魅力を出していこうという試みだ。安易な観光開発には反対したいのだ。鼻息の荒かった先生方も拍子抜けでお帰りに成られた。 合併問題とは関係ないが私が今、注目している地域がある。震災から不死鳥のように甦った有馬温泉だ。私は、有馬温泉の町並みづくりを我が地の手本と考えていた。その有馬の温泉情緒あふれる中心部の川沿いに大きな道路を通すという。「まさか」としか思えない話だった。理由は、観光バスをスムーズに宿に運ぶ為と聞いた。2車線の立派な道路だ。浴衣掛けで散策をしているお客さんの側を猛スピードの大型車が走りさる温泉街には、のんびりした風情はない。時代は、環境問題を優先しなければ考えられないところに来ている。温泉街の風情を捨てて利便を優先させる施策は、有馬温泉をどの様に変貌させるだろうか。
37。カップルの街 ぽかぽかと暖かい柔らかな日差しを浴びながら眠っているわけではないのだか、思考の留まる心地よい時間を久しぶりに味わった。風に舞う花びらと道行く人をぼんやりと眺めている。若い男女の行き交う姿が目の前を通り過ぎていく。橋の上に立ち止まり道行く人にカメラのシャッターを押してもらっているカップルもいる。石に腰掛けて話し込んでいるカップルもいる。色鮮やかな浴衣の彼女にデジタルカメラのシャッターを押し続ける彼氏。遠くには土産物屋さんの店先で大きなぬいぐるみ相手にはしゃぐ二人。今しがた駐車場から上がってきたカップルは、少し落ち着いた感じの出で立ち、でも二人とも二十四五かな。待てよ・・。先ほどから見てきた観光客は、すべてカップル。二十代前半か下手をすれば十代の子供ばかり。ここは山の中の温泉街、今日は、出張先の東京じゃ無かったはず、目の前の風景は、我が町のモノじゃないか。とたんに頭脳が覚醒してきた。ここは、渋谷か原宿か・・数年前は、腰の曲がったお年寄りが主流のお客様だったところ、今目にしているのは若者のカップルばかり。いったい何が起こったのだろうか?若者の温泉ブームの一言でかたづける話じゃない様な気がする。テロに起因する海外旅行からの回避、若者の本物志向、等々思いつく、「千と千尋の・・」影響も・・。確かに近年地域の宣伝方法も変えてきた、いわばターゲットを絞ったと言えるが釣れた魚は、違っていた。世の景気対策の主眼は、貯蓄もたんまりある年金生活者だった筈。温泉旅行に魅力を感じるのは、高齢者の筈だった。こんな筈じゃなかったけれど「まあ良いか」。冬季のスキー場など年々集客が難しくなっているという。私の持論は、携帯電話等、ネットの「出会い系サイト」との競合にあると推察するモノ。・・では「温泉街と若者カップル」の関係は、いったい何なのだろう。将来への不安からの刹那感からだろうか、実は、若者こそ癒しを求めて漂っているような気がする。低迷する日本経済、雇用への不安、のしかかる高齢化社会。若者達にこれほど夢の無い時代が過去にあっただろうか。若者達に目標を見つけさせる事が困難な時代があっただろうか。彼らは青春のまっただ中にあって精一杯の思い出作りをしているような感じがする。窓の外では、また数組のカップルが通り過ぎていった。先ほどまで華やいで見えたカップル達の後ろ姿に何故か濃い影を感じてしまった。若者達よ、せめて今宵は愛する人と楽しい夢を見てほしい。
95:全国現代湯治サミット 第二十二回目の露天風呂の日のイベントが今年も無事に賑々しく開催することが出来た。今年は、その前日、六月二十五日に昨年の肘折温泉からバトンを渡され第三回全国湯治サミットの引き受けとなったのでスタッフの負担は大変であったがこれからの温泉地の戦略を考える意味で有意義なモノとなった。このサミットは、私も入会している現代湯治研究会(会長 野口冬人氏)の主催なのだが内容と運営は、開催地に任されるので準備段階から苦労した。しかし北は、豊富温泉(北海道宗谷支庁管内天塩郡豊富町)、南は、三島村(鹿児島県の竹島、硫黄島、黒島)等、全国から百五十名の参加を頂き懇親会での交流も含めて大変勉強になった。サミットでは、内閣府の地域再生事業推進室の木村俊昭企画官や温泉療養医でもある湯原温泉病院の川上俊爾病院長からが地域資源を活用した地域づくりや医療と温泉の連携などについて講演があり、その後、全国の温泉地代表によるパネルディスカッションが行われた。湯治というと高齢の闘病者が自炊で十泊以上を寂しい温泉地の木賃宿で過ごすという暗いイメージを以前は持っていた。しかし実際の湯治場を訪問した時にそれは消え去った。そこでは短期間を過ごす場所とはいえ立派なコミュニティーが形成され湯街に賑わいすら感じられたのだ。特に昼の賑わいに・・。今回のサミットでは、これからの湯治にはリゾートとしての意味合いもあると感じられた。湯治にしてもリゾートにしても従来の一泊二食付き型から滞在型に移行する場合に必要と思うのは、地域内での楽しめるコンテンツやオプションの充実だ。宿から歩いて散策できる範囲(半径四百?以内)で如何にコンテンツを集約するか。自然愛好家や健康増進あるいは、知的好奇心を満足させる為のコンテンツ。さらに観光ガイドやエコツアーの人材の育成とそれらの内容を容易に伝え参加を募る為のシステムづくり。それらを時間単位でのモデルコースで結ぶ。これらをまずインフラとして充実させて行く必要がある。また同時に利用者に対するこの大きい意味での湯治という古くて新しい余暇時間の過ごし方を提案し啓蒙的視線で告知する必要がある。とはいえこれにはかなりのエネルギーと時間が必要だろう。湯原温泉的には地元の市営の温泉病院との連携や空き店舗を利用しての射的屋の復活など、さらには豊かな自然の維持という視点での廃食用油の燃料化の収集と自ら使用するリサイクル事業を行っている。また広葉樹の植樹などのエコ活動も行っているがこれらも立派なコンテンツなのだが私が私的に行うロンドンタクシーでのエコツアー以外には、生かし切れていない。周辺の地域でも森林浴や高原、城下町のボランティアガイドが多数いるのだが着地型のコンテンツの情報基地であるホテル旅館にはその情報が十分に理解されていないのが現状である。その他、エステやガラス細工などのクラフトなどもあるわけだがこれらの情報を集約し案内できる能力を宿泊地が持つ必要がある。また滞在型の宿泊客を延ばすには宿は、一泊朝食付きや素泊まりと言う宿泊形態での受け入れを積極的に受け入れることも町の飲食店や商店を賑やかにする為には必要だ。町の賑わいは、賑わいそのものが人を呼び込む要因となる。今回のサミットでは各地の事例から温泉地の復興の貴重なアイデアを多く頂くことが出来た。改めて参加頂いた皆様にお礼申し上げます。
キャベツが異例の品薄高となる中、“物価の優等生”と呼ばれてきたカット野菜の業界が苦境にあえいでいる。店頭では1玉が記録的な高値を付ける一方、袋入りの千切りキャベツは特価で販売。原料コストの上昇分が反映されず、むしろ値引きの対象となっている。価格転嫁が進まない中、加工業者や農家の経営は厳しさを増し、一定の値上げに理解を求める声も上がる。
「高齢化や単身世帯の増加などで需要が増えている」と業務用カット野菜の拡大を期待するのは、キユーピー社長の三宅峰三郎さん。... 国内の野菜生産は縮小傾向が続くが、需要量全体に占める業務用の割合は市販品...
かつて旅館の経営者は、閉ざされた情報の中で営業してきました。温泉街など集中して存在する地域でもそれぞれは商売敵であり経営のノウハウは、おいそれとは教えてくれません。組合や観光協会などでの共同宣伝は、行うものの一歩玄関を入った宿の中の事は隣の旅館に対しても鉄のカーテンを引き秘密でした。ところが面白いもので地域を離れた旅館同志となると以外に何でも話せるものです。また規模や形態が異なれば、これも鉄のカーテンが開かれたりするのです。昔から旅館のご主人が広域での会合に好んでお出かけになるのは、以外にその様な機会にいろいろな経営のノウハウの情報を得ようとされたのが要因かも知れません。今から12年前、私が全旅連の青年部役員で出向していた時にパソコン通信(インターネットではない)を利用した旅館のネットワークが作られました。名称は「RUN=旅館ユースフルネットワーク」、PC−VANと言うNECの主催するパソコンと電話線を利用した文字情報しか利用できない限られた世界での通信方法ですが当時としては画期的な情報システムでした。全旅連青年部ではこれを活用して「宿の悩み事相談」や「金融対策」「仕入れ価格」など経営のノウハウが教え合われていたのです。キャッチフレーズは「隣の宿には聞けない話しも全国の仲間となら話し合える」と言う意味のことを話して仲間を勧誘していたと記憶しています。悲しいかな、この情報ネットワークは、先駆過ぎて参加者(発言者)が少なく2年で廃止されました。開き掛けた鉄のカーテンは、再び閉じたのです。時は過ぎて1996年7月、あの旅館業法の改正や特消税撤廃で活躍された嬉野の小原健史さんの呼びかけで全旅連にインターネット実施委員会が作られました。ここではあらゆるインターネットの可能性を試みたのですがホームページの開設以外に「ml=メーリングリスト」と言うE-MAILを活用した情報ネットワークが構築されたのです。これは、加入するメンバーの誰れかが発言するとそれが全員に伝わるシステムで文字以外にもweb-TV放送や綺麗な画像も送れます。RUNから10年ついに鉄のカーテンは開かれました。開設から1年たった6月現在の加入メンバーは、約1200名しかも毎日5〜10名と申込みがあり増えています。今ではあまりの情報の多さに情報の交通整理が必要になりテーマ別に【全体】【ペンション】【温泉宿】【都市ホテル】【省エネ】【仕入れ】【集客】【金融】【外人受入】【B&B】【営繕】【経営】等々に分類を設定しているほどです。一日のメール数が300件を越えたこともありました。全旅連からの情報や全国の出来事が瞬時に伝わります。先般もある有名温泉で特消税に変わり「観光振興税」が地方自治体により新設されると言う情報が流れましたが、一夜にして反対運動の体制が整いその自治体に対し猛烈なFAXや電話などの陳情が行われ数日で廃案になったのは、我々の世界では有名な話です。宿泊業界も今、大きく変わろうとしていますがその原動力にこの「宿仲間ml」は、なっています。
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