産業消える とっくり王子の危機感

FXブログ
産業消える とっくり王子の危機感
[紹介元] Yahoo!ニュース・トピックス – 経済 産業消える とっくり王子の危機感

産業消える とっくり王子の危機感

荒れ模様の天候で始まった新年ですが、本年が皆様方にとって良き一年でありますように。

新学期になり、家族で山寺(宝珠山立石寺)を登りました。山寺は山形に来てから、家族で時々訪れる場所であり、山の上にある奥の院まで登ると1時間くらいの登山になるので、いい運動になります。季節により木々の変化があり、今回はまだ桜はごく一部しか咲いておらず、ほとんどの木がつぼみのままでしたが、今までは桜や新緑、紅葉を楽しむことができました。山寺に来ると、ほぼ毎回、家族で玉こんにゃくを食べていますが、山寺で食べるからよりおいしく感じるのだと思います。今回も玉こんにゃくを食べて、参道を登りましたが、奥の院まで登ると軽く息がきれます。山形に来て3年となり、たびたびこの参道を登っていますが、自分の歩行能力はあまり変わらないように感じます。一方、小学生の子供たちは成長して、親より早く登るようになりました。子供の成長はうれしいのですが、時は確実に流れているのだと感じます。山寺は860年に霊山として開かれましたが、天台宗の修行の場として登山道が参道として作られ、姥堂で地獄と天国が分かれると考えられており、来るたびに厳かな空気が流れているのを感じます。季節が変わり、時代が変わる中でも、山寺への信仰と人の思いは昔から変わらずにあるので、建造物だけでなく、山寺が発する厳かさは変わらずにあるのだと思います。Quebecに留学した経験から、古代からの歴史建造物や思想が現代まで遺されている日本は世界的に貴重な国だと気づきましたが、後世に伝えていく日本人の想いが、時代を超えても変わらないから日本では遺されているのだと思います。山形大学第三内科にとって、今年度は体制が変わることから、変化の年になると考えます。時代の変化と環境の変化にあらがうことはできず、それらの変化に応じて我々自身が可能な変化をすることで対応する必要があります。しかし、山形大学第三内科の先輩方の想いを引き継ぎながら、変化を発展へのチャンスと捉えたいと思います。今年も山形大学第三内科および脳神経内科をよろしくお願いします。

私は虫が苦手です。娘もその影響を受け虫が大の苦手でした。階段の踊り場にいた日にはそれ以上進めなくなるような状態でしたが、先月の秋の遠足で虫取りをしたり、虫の生態について勉強したのをきっかけに娘は虫が好きになったようです。遠足ではコオロギのコロちゃんを連れて帰ってきました。祖父母の家に虫かごを置かせてもらい、キュウリやナスを入れて観察していました。コロちゃんは雌だったようで鳴きませんでしたが、ある日コロちゃんに呼び寄せられたのか、虫かごの近くに別のコオロギがいたこともありました。そんなコロちゃんは先週まで元気にぴょんぴょんしていたそうですが、ある日急に亡くなってしまいました。娘は大変ショックをうけ、「コロちゃんに土を入れてあげなかったからかな、自然にかえしてあげればよかったのかな」と泣いて泣いて悲しみました。コオロギの成虫は1カ月程度で死んでしまいます。コロちゃんは先月の遠足から1か月元気に生きていました。実は主なお世話は虫に詳しい近所のお兄ちゃんがやってくれていましたが、娘にとっては大事な家族だったようです。祖父母の家の庭に小さなお墓を作りコロちゃんを送りました。「埋めるといつの間にか消えちゃうんだよね、微生物がパクパク食べるんだよね」といろいろと学んでいるようでした。

少しだけ、話が逸れます。私は力不足で米国で自分のラボを構えることができませんでした。PI (principal investigator:日本の教授に相当します)最終選考の機会を複数回得ましたが、結果はいつも。。。最終選考は書類選考で残った3人の候補者を選出、インタビューに呼んで、スライドを用いたプレゼン、「Chalk talk」という本当にチョークと黒板だけで行うプレゼン、十数人のfacultyの方々と30分毎の面接という形式で行われ、夜はレストランでのdinnerです。つまり、Englishが外国人にとって重要なのです。初めてのインタビューは2012年4月、カナダのサスカチュワン大学でしたが、そこで思わぬ失敗をしました。dinnerに行った際、赤ワインのボトルを注がれるまま一人で2本空け(英語力を酒でカバーしようとした?)、chairに「インタビューでここまで飲む奴を初めて見た」と言われたのです。ちなみに欧米では酔った姿を人前で見せることは「恥」と考えられています。彼は3日間のインタビューが終了し、私を空港に送る途中でも自宅へ案内し、「上手いのがあるから飲んで帰れ」と赤ワインを飲ませてくれました(どなたかと似ていませんか?)。結局、Englishで落とされましたが、彼とは今でも連絡を取り合っています。ちなみに彼の父はEgon Bretscherという核物理学の有名な研究者でウラン濃縮の際に核融合が起こることを発見、弟子の一人はMRIの原理を発見したFelix Blochでノーベル賞をとっています。彼も免疫学者としてNatureの論文を複数持つ優秀な研究者です。他のインタビューでも、尽くEnglishが大きな壁となり、その重要性を実感しました。ただし、インタビューを経験したことで人脈は世界に広がったと思います。アメリカという国は非常にdiversityに富んでいます。人種差別は確かにありますが、それでも外国人をCV(業績集のようなもの)で評価し、旅費まで出してインタビューに呼ぶわけですので、非常に懐が深い国だと感じています。

「現在、自分には2歳の息子がいます。メーカーの相次ぐ廃業をどうにか食い止め、子供が大人になったとき、自分が生まれ育った場所の産業である多治見市の陶器ボトルを誇れるようにしたいんです」

岐阜県多治見市は、日本でも有数の焼き物の産地として知られています。野村健太さん(37)は多治見市で、陶器ボトルをはじめとするとっくりの販売を手掛ける商社に入社。営業マンとして働く中で、市内でも製造が盛んな高田・小名田地区の陶器メーカーが次々に廃業していく様子を目の当たりにします。「このままでは産業が消えるかもしれない」と危機感を抱いた野村さんは2024年、陶器ボトルの商品開発やPRを手掛けるために起業。「とっくり王子」を名乗り、クラウドファンディングにも挑戦しながら、業界の流通に新しい仕組みを生み出そうと活動しています。

私にとっての秋は、芸術の秋!というより、間違いなく食欲の秋!!でしょうか。芋煮に果物に新米、まだまだ山形の秋は旨いものめじろ押しです。

来月はアメリカ人にとって大事なThanksgivingがある。よく家庭でターキーを焼いて食べたり、友人宅に集まりホームパーティーをしたものだが、残念ながら日本には売っていない。Thanksgivingから年末までがHoliday seasonと呼ばれ、一年で一番華やかな時期であるが、今年はコロナの影響でどうなるのだろうか。

起業後は、最初の大きなプロジェクトとして、2024年11月に「『名入れ陶器ボトル』を広めたい!とっくり王子の挑戦!」と題したクラウドファンディングにも挑戦しました。目的は、高田・小名田地区の陶器ボトル業界の現状と、美濃焼陶器ボトルの総合プロデューサーとして行う事業を、多治見市以外の人にも知ってもらうことでした。

「後継ぎ探しも含め、もちろん簡単なことではありません。でも、誰かが旗を揚げないと見てもらえませんからね。1人でも2人でも、この産業に興味を持ってくれる人が増えたらいいなと思っています」

「とっくり王子」として、陶器ボトルの流通に変革をもたらす野村さんの活動は続きます。

さて、2月~3月になると患者さんから聞かれることが多いのは、異動するかどうか。大学病院の患者さんにも、出張先の患者さんにも聞かれます。「先生、異動は?」「4月からどうなの?」と。通院歴が長い患者さんほど、我々大学病院の医師に異動が多いことや出張先が変わることをよくご存じで質問されるのだと思います。4月からも変わらないことを伝えると「よかったー。」「ずっと変わらないでね。」と言ってくださる方もいらっしゃり、この言葉を聞くと、すごく嬉しくなりますし、少し安心します。内分泌・代謝グループの医師は、糖尿病や高脂血症などの患者さんを見ることが多く、時には食事や生活の見直しをお願いしたりなど指導が多くなることもあります。だからこそ、患者さんにより添えているのかが不安になることもあります。それが、この年度末の患者さんの言葉で救われる気がします。(私だけなのかもしれませんが。)患者さんにとっては、様々な面で医師が変わらないことが一番いいのでしょうが、医師が少ない山形では仕方ありません。いつか異動があるかもしれませんが、それまではこのように言っていただけるように、かつ、よりその方に一番合う治療ができるように頑張っていこうと思います。

新年あけましておめでとうございます。寒波に見舞われたお正月ですが、如何お過ごしでしょうか。当方は相変わらず”徳利”のお正月でした。歳のせいか空けた酒瓶の量が年々少なくなり、家族は喜ぶものの若干寂しくもあります。お正月といえばゲームでしょうか。最近のゲーム機器本体、ソフトの充実には目を見張るものがあります。子供たちが持ち込んだゲームをついつい夜中まで・・・。若者が勉強そっちのけでゲームに没頭する気持ちがよく解りました。伝統的なゲームといえば将棋と囲碁でしょう。お正月の特集番組もよく観ます。将棋は小学生の頃に父に手ほどきを受けて覚えたのですが、すぐに父を追い越しました。当時は大山康晴名人の全盛期で新聞の将棋欄は毎日欠かさず読んでいましたが、回りにあまり強い対戦相手がいなく、さらに転校もありその後何となく疎遠になってしまいました。囲碁は理学部時代に覚えました。きっかけは良く覚えていませんが、近所に強い人がいて溜まり場もあったため、夜な夜な碁を打っていた時期がありました。さらに当時は町中に碁会所があり、他流試合で腕を磨いていました。特に免状は持っていませんが、碁会所では初段格で打って勝ち越すぐらいのレベルでした。当時の碁会所は、”おじさん”という人種を理解するには絶好の場所で、今の仕事に間接的に役立っていると思いますが、知らない間に自分が”おじさん”になってしまいました。将棋と囲碁はご存知のように二人で対戦するゲームですが、そのコンセプトは全く異なります。将棋の目的は極めて明確で、相手の王将を取ることです。王将以外の駒は様々な働きを有しており、それらを駆使して、場合によってはそれらを捨てて相手方の王将を取ったほうが勝ちです。つまりコマの中では王将が唯一無二の特別な存在です。王将は取られてはいけない存在です。一方囲碁は碁石を盤上に並べて陣地を取り合うゲームで、碁石に特別な序列は無く皆同じ、同列です。いくら盤上の自分の碁石を取られても、最終的に相手の陣地に比べて自分の陣地が多ければ勝ちです。決して取られてはいけない碁石は存在しません。ここが将棋と囲碁の根本的な相違点です。臨床医学に従事して30年以上になりますが、対応に苦慮する場面との遭遇は日常茶飯事です。臨床医学の難しいところは、将棋の囲碁の両方の側面を有している点かもしれません。急性期の医療は生命の維持が究極の目的、つまり王将が絶対的であるという将棋的なコンセプトが主でしょう。しかし慢性期に移行すれば、全体としてどうすれば最も患者さんにとって望ましいのかという囲碁的なコンセプトが要求されるようになります。この境界は個人で異なり、しかも時代と共に境界が揺れ動き重複もあります。絶対的な視点と相対的な視点の両方を要求される極めてファジーな領域で日々もがいているのが臨床医でしょう。状況は益々難しくなっていますが、第三内科は常に最善の医療を提供するように努めています。本年も第三内科を宜しくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました