大型店と共存一転 衰退憂う商店街

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大型店と共存一転 衰退憂う商店街
[紹介元] Yahoo!ニュース・トピックス – 経済 大型店と共存一転 衰退憂う商店街

大型店と共存一転 衰退憂う商店街

日の出町は100年以上にわたり片倉工業(東京)と歴史を共にしてきた。1890(明治23)年、現在のイオンモールの場所に松本片倉清水製糸場が開業。モールの一角に立つ「日ノ出町命名之碑」には、「町名の由来は、日の出の勢いで発展する片倉にあやかり、また松本市の東に位置し日の出を拝する町という意味を込めて日ノ出町と命名された」と記されている。 生糸の需要減などを受け、片倉工業の松本工場は1965(昭和40)年に製糸業から撤退。81年、製糸工場跡地に商業施設「松本カタクラモール」が開業した。 75年に松本市中央1で洋食店を開いた南山さんは、カタクラモールの開業に合わせ、中央4の現在地にある自宅を建て直し、店を移した。この頃、日の出町商店街には理髪店や八百屋、精肉店など21店舗が並び、多くの人でにぎわったという。松本駅前に大型店が相次いで進出し、84年には松本パルコ(中央1)が開業したが、「お客さんを分け合い、向こうもこっちも良かった。大型店と商店街が共存共栄していた」と振り返る。

イオンモール開業から7年が過ぎた。当初の混雑は落ち着いてきたが、松本パルコや百貨店の井上(深志2)が相次いで閉店を発表し、市街地の大型施設でイオンモールの「1強」状態は続いている。

75年に松本市中央1で洋食店を開いた南山さんは、カタクラモールの開業に合わせ、中央4の現在地にある自宅を建て直し、店を移した。この頃、日の出町商店街には理髪店や八百屋、精肉店など21店舗が並び、多くの人でにぎわったという。松本駅前に大型店が相次いで進出し、84年には松本パルコ(中央1)が開業したが、「お客さんを分け合い、向こうもこっちも良かった。大型店と商店街が共存共栄していた」と振り返る。

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