社長退任10年 たかた創業者の今

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社長退任10年 たかた創業者の今
[紹介元] Yahoo!ニュース・トピックス – 経済 社長退任10年 たかた創業者の今

社長退任10年 たかた創業者の今

「明、やることがないなら手伝え」と家族に言われ、家業を手伝い始めた途端、その仕事に夢中になりました。私に特別な才能は何もないけれど、ひとつ言えるとするならば、目の前の仕事に没頭する力はずば抜けているかもしれません。「カメラのたかた」では、団体客でいっぱいになるホテルの宴会場に行って、撮影。何百人分のスナップ写真を明け方までに現像し、翌朝の朝食会場で販売しました。「1枚でも多く写真を買ってもらうにはどうしたらいいのか」を常に考え続け、お客さまがカメラの方を向いてくれるまで何度も声を掛け続けたり、仲良しグループはどこかをじっと観察して写真を撮ったり、アルバムにしたりお皿に焼くなどの工夫もしました。朝食までに現像が間に合わなかった時は、帰りの観光バスに乗り込んで販売したこともありました。

そして、2013年12月の忘年会で最高益を更新するという目標が達成できたことを発表すると、会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。中には感情が爆発し、泣き出す者もいた。1年間の緊張感の中で全力を出し切った社員たちは一回り大きく成長していた。あえて自ら試練を作り、それを乗り越えることで組織として自信も付いた。社長の座を守れたことよりも、社員が団結して高い目標にチャレンジし、目標を達成できたことが何よりも嬉しかった。2013年12月期の売上高は1423億円、利益は150億円となり見事Ⅴ字回復を成し遂げたのだ。

後編では、「株式会社たかた」創業から、退任を決めた思い、今後の挑戦についてうかがいます。

「現在のジャパネット社長から社長就任をお願いされました。周囲から背中を押されたこともあり、私としましても、長年応援してきた地元チームを何とか存続させたいとお引き受けしました。しかしこれは、倒産した会社を再建するに等しい事業です。4月の社長就任以来、まずは企業の傷んだところを一つひとつ把握している状況です」

髙田さんは、生まれ故郷である長崎県でジャパネットたかたを創業し、地元企業として会社を成長させてきた。引退後は長崎の観光リゾート施設のCMに出演しPRするほか、講演会活動や先述のおさんぽ番組出演を通して長崎の魅力を伝え続けている。

ジャパネットたかたはテレビの地デジへの完全移行後の2012年度、経常利益は10年度比約5割減に落ち込んだという。その際、髙田氏の責任の下、全社一丸で挽回に向けて取り組み、13年度は目標額を超えて過去最高益を達成した。「可能性の20%に注力した」と振り返る。

社員たちも「社長を辞めさせる訳にはいかない!」と必死になり、1日24時間限定で1品を徹底的に販売する「チャレンジデー」という新しい企画を実施し、大成功を収めた。この発案者が旭人であった。

こういった徹底した問題解明の取り組みや営業自粛といった真摯な姿勢が顧客や取引先に伝わり、営業再開後はこれまで以上に業績を伸ばすことになった。情報漏洩事件が起きた04年の売上高は663億円と減収になったかが翌年の05年には売上高906億円と240億円の増収となり、減収分を取り返した。06年には売上高1080億円と伸ばし、長崎県内で初の1000億円企業となった。

「テレビ販売の特需が終わり2011年、2012年と2期続けて収益が半減している。このままではこの会社の未来はない。来期一年間で2010年に達成した過去最高益136億円を超えなければ、私は社長を辞める」

「人は人によって生かされている。どれだけのことを他人や社会のために尽くしたかということが企業人としても、一人の人間としても大事だ」

年商1700億円超の通販会社「ジャパネットたかた」創業者・髙田明さん初の自著『伝えることから始めよう』(東洋経済新報社)が発売中。髙田さんが伝える商品はなぜ顧客の心に届くのか、その理由がわかります。

社長退任の理由を伺うと、「年ですから」と含み笑いをした。「人にはそれぞれ役割があります。働き盛りの世代もいれば、来年70歳になる私には“70歳の役割”があります」。髙田さんの役割とは、すなわち「地方創生」のことだ。

ちょうど10年前の2015年1月、ジャパネットたかたの代表を息子の旭人(ジャパネットホールディングス代表取締役社長兼CEO)に譲って退任しました。

ジャパネットとしてもそこを考え、現社長はさる24年10月に、自社のみで約1000億円もの資金を投じ、「長崎スタジアムシティ」を開業しました。

昨今、事業承継の問題は特に中小企業やファミリー企業が抱えている大きな問題と言われているそうです。そういう社会的背景の中で、ジャパネットたかたの事例をメディアで取り上げてくださるのですが、僕の場合、事業承継を上手くやろうと思ったことはまったくないのです。

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