【特別対談・後編】ドル円161円到達の可能性!佐々木融×森永康平が為替相場を徹底予想! 2025年8月25日 FX/為替 ドル円相場見通し #円安 #インフレ 

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【特別対談・後編】ドル円161円到達の可能性!佐々木融×森永康平が為替相場を徹底予想! 2025年8月25日 FX/為替 ドル円相場見通し #円安 #インフレ 

 ふくおかフィナンシャルグループ・チーフストラテジストの佐々木融氏と経済アナリストの森永康平氏による為替市場に関する対談をお届けします。現在の円安状況から中長期的な見通しまで、専門家の視点から詳しく解説していただきました。

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中長期的な為替見通し

●1年後の予想

佐々木氏の見解:
1年以内に再び160円台を試す可能性が高い

根拠:
・円の実質金利はマイナスのまま
・国際収支も悪化傾向
・アメリカの政策による資本流入

リスクシナリオ:
植田日銀総裁が予想以上にタカ派的になった場合は見通し変更の可能性

●植田総裁の人事背景と今後の政策

森永氏の分析:
植田総裁の選出には「人柱的な性質」があった可能性。日銀・財務省どちらからも出したくない利上げ局面で、学者出身の総裁を選んだ背景がある。

今後の可能性:
政治情勢が落ち着けば、本来の役割である正常化路線を積極的に進める可能性がある。

個人投資家へのアドバイス

●投資の基本姿勢

佐々木氏の提言:
・「儲ける」より「資産を守る」という観点
・現金は実質目減りするため、資産への投資が必要
・分散投資:投資対象だけでなく時間の分散も重要

●具体的な投資手法

推奨される方法:
・積立投資による時間分散
・一度に大金を投入せず、継続的な投資
・投資を忘れるくらいの感覚で継続

成功例:
佐々木氏の金投資(1996年から継続)- 途中忘れていたことが最良の結果をもたらした

●若い投資家への特別なアドバイス

時間の優位性:
・若い世代は時間分散の効果を最大限活用可能
・早期開始による複利効果
・本業への好影響(経済知識の自然な習得)

投資の副次的効果:
・身銭を切ることで経済ニュースが自分事になる
・自然と経済知識が身につく
・転職や昇進にもプラス効果

物価指標の正しい見方

●日米のCPI比較

重要なポイント:
・アメリカ版コアCPIで見ると日本は1.6%程度
・日本の家賃(帰属家賃)は異常に上がらない
・帰属家賃を除いた総合では、より高いインフレ率になる

森永氏のアドバイス:
複数の物価指標を総合的に見る癖をつけることが重要。一次データを確認する習慣を身につけるべき。

金利差と為替の関係

●教科書通りにはいかない現実

佐々木氏の指摘:
・金利差と為替は短期では相関するように見えるが、実際はかなりずれている
・長期で見ると金利と為替の相関は低い

まとめ

 現在の為替市場は構造的な円安要因が根強く、短期的な調整はあるものの中長期的には円安傾向が継続する可能性が高い。個人投資家は「儲ける」ことより「資産を守る」観点から、時間分散を活用した継続的な投資を検討すべきである。

 特に若い世代には時間の優位性を活かした早期の投資開始を推奨する。投資は単なる資産形成だけでなく、経済知識の習得や本業でのスキルアップにもつながる副次的効果が期待できる。

 
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ふくおかフィナンシャルグループ チーフ・ストラテジスト
佐々木 融 (ささき・とおる)氏
1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。
2010年にマネージングディレクター就任、2015年から2023年11月まで同行市場調査本部長。23年12月から現職。著書に「インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?」「弱い日本の強い円」など。

株式会社マネネCEO/経済アナリスト
森永 康平(もりなが・こうへい)
証券会社、運用会社にてアナリストとして株式市場や経済のリサーチ業務に従事。その後、業務範囲は海外に広がり、インドネシア、台湾などアジア各国にて新規事業の立ち上げや法人設立を経験し、事業責任者やCEOを歴任。2018年6月、金融教育ベンチャーのマネネを創業。現在は国内外のベンチャー企業の経営にも参画している。著書は『スタグフレーションの時代』(宝島社新書)や『親子ゼニ問答』(角川新書)など多数。

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特別対談 後編 ドル円161円到達の可能性佐木融森永康平が為替相場を徹底予想

本書は、原発と地震の関係を最も深く抉(えぐ)ったドキュメントである。ぼくはこの手の本をいろいろさがしてみたが、類書はなかった。国立がんセンターの定期検診のあと、そのまま丸の内丸善に行き、本書を関連本とともに松丸本舗に入れることにした。 事件はまだ3年半前のことである。中越沖地震とともに柏崎刈羽原発の7基すべての原子炉が緊急停止し、3号機の変圧器が火災をおこし、7号機からは放射性物質が漏れたのだ。制御棒も脱落事故をおこしていた。「想定外」の震度7の激震だった。 やがて、この原発が活断層の上に立地していたことが判明するのだが、それまでこのことがいっさい隠されてきたことがわかってきた。なぜそんなふうになっていたのか。新潟日報の特別取材チームはこの謎を追いかけ、事件後すぐの8月16日から1年間にわたる特別連載「揺らぐ安全神話・柏崎刈羽原発」を組み上げていった。 取材先はかなり多岐におよぶ。東京電力の現場担当者や管理者はむろん、そもそもこの原発を誘致し、立地し、作動させていった関係者の多くにヒアリングし、その背後関係を洗い、ついには角栄時代の柏崎市長(小林治助)をとりまく取引にまでメスを入れていった。 この連載は日本ジャーナリスト会議JCJ賞と日本新聞協会編集部門賞をみごとに受賞した。しかしながら、わが本となり、2009年1月の刊行となった『原発と地震』が読まれてきた気配は、新潟北陸地方はいざ知らず、少なくとも関東や東北では、ないように思う。東京の書店員たちに聞いてみても、この本のこと、ほとんど知らないままだった。 原発のメカニズムそのものは熱源に原子力をもってきただけで、その原理は火力発電とほとんど変わらない。ボイラーを原子炉におきかえ、そこにペレットを詰めた燃料棒を「燃やして」、水を蒸発させ、その蒸気でタービンを回して発電する。 ただし、その原子炉の中ではウラン235やプルトニウム239が「燃えている」のではなく、「核分裂の連鎖反応」をおこしている。そこが決定的にちがっている。そのため炉内には大量の核分裂生成物がたまる。これが放射性物質で、以前からの一般用語でいえば「死の灰」である。原子炉に異常が発生すると、この「死の灰」がまきちらされる危険性がある。ヨウ素131、セシウム137、ストロンチウム90などだ。 これらの一連の出来事は、ずばり核分裂反応である。ウランやプルトニウムの原子核に中性子をぶつけると核分裂が次々におこるのだが、原発ではこれを小さなペレットの寄せ集めに閉じこめておこす。そういうペレットを詰めた燃料棒が、原発の燃料なのである。これだけのことをおこすには、むろんのこと、原子炉内での出来事が外に洩れないようにしなければならない。 けれども、日本はフラジャイルきわまりない地震列島なのだ。もとは中国大陸の一部だったが、2500万年ほど前に地殻の下部にプルーム(マントル最深部から立ち上がる熱柱流)が上昇して、地殻が引き裂かれて日本列島になった。その引き裂かれて陥没したところに日本海が生じた。 大陸から独立した列島に、今度は600万年前から南のほうから100万年をかけてフィリピン海プレートの上に乗った火山島が次々に付け加わって、丹沢や伊豆半島になり、太平洋プレートとのプレート境界上にいくつものトラフ(舟状海盆)を生じさせた。有名なのが相模トラフや南海トラフである。 こうして一方では、大陸プレートと海洋プレートの境界が東北日本の太平洋側につくられ、他方では、このような劇的な列島の成り立ち自体が2000以上もの活断層を列島全体にのこしていった。 その活断層の上に柏崎刈羽原発が建設されたのだった。何がおこっても当然だったのだ。

(A)の西ヨーロッパには、3つのサブシステム回路があります。①東フランス・中央フランス、②フランドル地方の織物生産地帯、③ジェノヴァとヴェネツィア、です。

革マル派の領袖クロカンの本がすべてこぶし書房から刊行されているのは言うを俟たないのだが、それとはべつに九鬼周造・中井正一・三木清・三枝博音・梅本克己・宇野弘蔵などをずらりと並べた「こぶし文庫」がよく、また、務台理作著作集、福本和夫著作集が出色で、かつ最近はアドルノ(1257夜)やチョムスキー(738夜)の翻訳やロバート・ブレナーの『ブームとバブル』にも手をつけていて、その一環で本書のアレックス・カリニコスを次々に出し始めたのが嬉しいのだ。

①のフランス回路では、トロワ、プロヴァンス、バール、ラニイなどがシャンパーニュの大市などを形成していきました。②のフランドル回路の中心になったのは、商業面と金融面でのブリュージュと、工業面でのヘントです。③のジェノヴァとヴェネツィアの回路では、ジェノヴァがコンパーニャなどの商業的自治組織でムスリム諸国と争って西洋的な動力源になっていたのに対して、ヴェネツィアはコンスタンティノープルの庇護をいかした東洋寄りの商業都市国家になっていて、だからこそここからマルコ・ポーロ一族が東への旅を意図できたのでした。

本賀新年。今年もぼくの1年は「本を賀する」という日々になります。正確には「本に資する」というべきだけれど、それにしても、こんなにも本を相手に日々格闘するとは思いませんでした。 理由は明白。このところどんどん“世相と思想と技相”が本を囲い込み、本を追い込み始めたからですね。一言でいって、世相はフラット、思想はゼロ年代、技相は検索主義ばかり。けれども、ここで本が逃げてはいけない。後ろを見せてはいけない。本だって“本気”で闘わなければ、まずいでしょう。ぼくとしても奥の手を繰り出してでも、時代は“本番”だと言わしめたい。 で、松丸本舗では早々に、正月2日から7日まで「本の福袋」を供することにしたわけです。福原義春・コシノジュンコ・森村泰昌・やくしまるえつこ・美輪明宏・鴻巣友季子・ヤマモトヨウジ・長谷川真理子・ヴィヴィアン佐藤・しりあがり寿・前田日明・松本健一さんたち、総勢20人以上のゲストに頼みこんで(ぼくも加わって)、それぞれ数冊の本とお年玉とをブックギフトとして特別に用意してもらって袋詰めにしたんですね。 2日の朝の開店2時間でどんどこ捌(は)けました。ありがたい「本の初荷」となりました。来店のみなさんに感謝、準備に奔走してくれた和泉PMらのスタッフに感謝。佐伯亮介のデザインもどんどこ冴えた。ともあれ今年も「兎の如くに読走し、亀の如くに読坐する」でありたいものです。これ、松丸本舗の新年の標語です。

ヨーロッパとアジアを併せてユーラシア、これにアフリカを加えてアフロユーラシア(アフロージア)、ついでに奈良を加えればNARASIAナレーシア(ナラジア)だ。中央は森と草原と砂漠と山地が横たわり、その両端にブリテン諸島の極西と日本列島の極東がある。 西洋史観はユーラシアを西の世界(ヨーロッパ)と中東(ミドルイースト)と東方世界(オリエント)に分けたがるけれど、実際には南北ベルトで切れば、北から南へ向かって森林・森林草原・草原・半砂漠・砂漠の気候が連なっていて、その中心地帯の大きな部分を「乾燥」が占めて、そのところどころをオアンス都市がつないできた。 ユーラシアは西洋・中洋・東洋などには決して分けられない。たとえそのうちの「陸のアジア」といっても、北アジア・中央アジア・南アジア・西アジアがあって、それとはべつに乾燥アジアとか内陸アジアとか高原アジアとか草原アジアといった呼び方があり、そこをさまざまな部族や種族が遊牧的に交差し、入り乱れてきたわけだ。 そもそもユーラシアの大きな地域には、古代より狩猟と農耕と牧畜が組み合わさり、そこを「草原の民」と「オアシスの民」が動きまわって、総じて「面」としての遊牧世界と「点」としての都市社会を構成するようになっている。その主たる活動者はパストラル・ノマドたちである。牧畜農耕的的移動民、すなわち遊牧民たちだ。 パストラル・ノマドはたえず動きながらサマー・クォータース(夏営地)とウィンター・クォータース(冬営地)を切り替えつつ、東西南北に自在に移動して、それぞれの地に群居性や集団居住地や、また都市や王国や帝国をつくってきた。そのルーツのひとつにスキタイがいた。 紀元前18世紀から1000年ほどにわたり、中央アジアの草原地帯にはアンドロノヴォ文化という青銅器文化が続いていた。アンドロノヴォ文化はふつう4期に区分されるのだが、その第3期に羊の飼育と乗用の馬をもつ遊牧民の活動がおこり、つづく第4期の紀元前9世紀くらいからいくつかの遊牧社会が成立した。 この中央アジアの遊牧民は、やがて西にも動いて古代オリエントから青銅器文化や鉄器文化を吸収し、黒海北岸に強力な遊牧国家を形成した。これがスキタイ(スキュタイ)だ。スキト・シベリア文化とも言われる。 スキタイについて最初に記録をのこしたのは、古代ギリシアのヘロドトスの『歴史』である。まだ千夜千冊していないけれど、ヘロドトスはペルシア戦争を“現在史”として綴ろうと決意して、それをやってのけた。その視点と視野はギリシアとペルシアの背景史にも及び、各地の伝説時代にまでさかのぼる著述をするほどの熱の入りようだった。驚くべき才能だ。キケロが「歴史の父」と賛嘆したのも当然のこと、実に浩瀚な歴史記述になっている。松平千秋の名訳によって読める。 そのヘロドトスが、「アケネメス朝ペルシアの大王ダレイオスが紀元前514年に大がかりな北進を敢行して、スキタイなる者たちを討った」と書いた。 そのころのギリシア人の地理観念では、ボスポラス海峡とダーダネルス海峡の北側に広がる土地が「世界」(ヨーロッパ)というもので、その南側の東方が「アシア」(アジア)、西方が「リュビア」になっていて、スキタイは「世界」の北側に攻めこんでいたのだ。そこでダレイオスは70万の軍勢をもって、その子のクセルクセスは100万の軍勢をもって黒海沿岸を北上し、ドナウ川も渡ってスキタイに進攻していった。 しかし、遠征は失敗した。スキタイの軍勢が嵐の中の蜂のように襲ってきて、ペルシア帝国はユーラシアの北にも東にも帝国を広げるチャンスを逃した。もし成功していたら、とてつもない古代ペルシア帝国がユーラシアに広がっていただろう。けれどそうはならなかった。ペルシアはおまけにギリシアにも負けた。 かくてアケメネス朝は次のササン朝ペルシアに移っていくのだが、このスキタイこそはその後の中央アジアを席巻する遊牧国家群の母型のひとつだったのである。アンドロノヴォ文化とスキト・シベリア文化の再来とでも言ったらいいだろうか。

4月7日(木)。夜11時半をこえたころ、東京がまたもやぐらぐらぐらと揺れた。十数人の内外のスタッフと松丸本舗「本集」のための選本ミーティングをしていたときだ。テレビをつけると、宮城沖でマグニチュード7・4の地震がおきたと報じていた。 震度は6強だから、3・11以降の余震震度では最大級である。東京赤坂の揺れでも身体に残曳する。仙台が実家の和泉佳奈子がさっそく家にケータイしたところ、お母さんが「せっかく家の中を整理できたところだったのに、またぐちゃぐちゃになった」と気の毒なほど無念な声を出していたという。 その後のニュースでは、女川(おながわ)原発の3系統の外部電源のうちの2回路が切れ、下北の六ヶ所村の核燃料リサイクル再処理工場の外部電源も止まり、非常用電源の給電に切り替わったと言っていた。火力発電所も次々に発電送電が中断し、青森・岩手・宮城の広い地域で停電が続いたようだ。 事態は『新リア王』(1407夜)の六ヶ所村にまで波及したわけである。やっぱりこういうことがおきるのだ。このあと何がどこでどのように勃発するかはわからないが、まだまだ似たようなことが続発するだろう。これは日本のためのヨブ記なのか。そうだとすれば、ずいぶん苛酷な試練だが、少なからずそんなことを誰もが感じているか、さもなくば「だからね、みんなで大いに元気で頑張ろう」と言おうとしているわけである。 午前2時をまわった。このところよくあるのだが、この刻限になると、何かが手につかない。その手のつかなさが、これまでのぼくにはとても稀少なものなので、ほっとけない。目の前の白昼の海市のように手が届かずに、おぼつかないのだが、そのおぼつかなさが手に絡みつき、体に染みついていることを軽視するわけにはいかないからだ。 ただし、これでは仕事にならない。そこで、ようやく加速してくれつつある「7離」(第7季「離」)の応答に目を通し、太田眞千代・太田香保とともにWオータの講評に少し手を入れた。離学衆の諸君の「ひたむき」を実感して、やっと何かの血がめぐってきた。これなら帰って眠れる。 4月8日(金)。午後はテレビマンユニオンのNHK「世界遺産・1万年の叙事詩」第7集の収録のための予習につぶした。夜は“世界遺産の旅人”の華恵ちゃんを相手に、メキシコのクリオーリョ(メキシコ生まれのスペイン人)が「近代」に向かって矛盾と葛藤に満ちた苦闘を強いられた話を振り返る、という収録だった。ディレクターは若くて優秀な鈴木伸治君だ。 途中、「絶対王政の行き詰まり→プロテスタント移住→アメリカ独立戦争→フランス革命→ナポレオン→国民国家の成立→スペインの変質」を高速で辿った。うまく話せたかどうかは、わからない。『奥の細道』を訳したオクタビオ・パス(957夜)の話で締めてみた。 日本人にはメキシコの歴史も南米の近代史も難しいが、メキシコは地震と噴火の国であるし、日本人にはクレオールとしての歴史が宿る。安部公房(534夜)や篠田正浩が、それぞれ晩年に日本のクレオールを研究していたことを思い出した。あれはいったい誰が継承しているのだろうか。 収録が終わったのは、午前1時過ぎ。すぐに櫛田君と4月17日にZESTで予定している「感門之盟」のプログラムの進行を打ち合わせ、そのまま小森君が用意してくれていた2本のISISメモリアルな映像をチェックして、ここで一息ついた。 郵便物を整理し(ぼくは郵便物をたいてい夜中にまとめて見る)、さて、どうしょうかと思いながらケータイを確認すると(ぼくはケータイは黒のポシェットに入れたままで、めったにポケットに入れていないし、持ち歩かない)、チェンマイの花岡安佐江からの着電がそのままになっていた。名にし負う6離出身者。電話をしてみると、たちまち話がいろいろ飛んで、彼女が数日前に扁桃腺にかかって生まれて初めて抗生物質をのんだことに始まり、タイの気候風土から日本の中にスモールサイズの暮しをつくる工夫まで、あれこれの長話になった。 帰宅後、夜中の3時半頃から西尾漠の一連の『なぜ脱原発なのか?』『どうする? 放射能ごみ』『むだで危険な再処理』(緑風出版)などを拾い読んでみたが、うーん、今夜も落ち着かない。「7離」の文巻に手を入れることにした。どんどん書きこみたくなった。 4月9日(土)。夕方に起き出して、ぼうっとしながら何かを憶い出そうとしていた。何を記憶の奥から引っ張り出そうとしているのか、それすらわからなかったので、ひとまず新聞を読んでいるうちに、突然、ああ、あれかなと遠くのほうからカーソルが近づいてきて、カチッと鍵穴をあけた。そうだ、『方丈記』(42夜)と『断腸亭日乗』(450夜)だった。 うろおぼえだったので、確かめたくなって書棚から取り出した。『方丈記』はこうだった。長明はここまで書きこんでいる。 「おびただしく大地震(おおない)のふること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋(うず)み、海は傾きて陸地を浸せり。土裂けて、水湧き出で、巌(いわお)割れて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどころをまどはす。都の返(ほとり)には在々所々堂舎塔廟ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ちのぼりて盛なる煙の如し。地の動き、家の破るる音、雷(いかずち)に異ならず。家の内におれば、忽ちにひしげんなんとす。走り出づれば、地割れ裂く」。 そう、そう、これである。 文治元年(1185)の地震大災害の見聞と感想だ。この年は平家の一門が壇ノ浦で海中に没していった象徴的な年であるが、都にも大地震が襲い、藤原氏の栄華のシンボルでもあった法勝寺の九重塔が崩落し、法成寺の回廊がすべて倒壊した。琵琶湖の湖水が都に逆流して北白川に溢れ、そうとうの決壊がおこった。マグニチュード7ほどの大地震だったようだ(詳しくは寒川旭『地震の日本史』中公新書など)。余震も3カ月続いた。長明は「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震なりけりと覚え侍りしか」とも書いている。では、われらはいま、何を覚え侍りしか。 荷風の『断腸亭日乗』のほうは、いかにも世捨人の荷風らしい。関東大震災の直後、次のように辛辣なことを書いている。「近年、世間一般、奢侈驕慢、貪欲飽くことを知らざりし有様を顧みれば、この度の災禍は実に天罰なりと謂ふべし」。 分相応に生きればいいんだという託宣だ。「無常迅速でいいじゃないか」という達観だ。しばらく『方丈記』と『断腸亭日乗』をつらつらぱらぱらと読み、遅い夕飯をきのうと同じ豚汁でかきこむと、BBCのアジア・ニュースを1時間ほど見て、今度はほったらかしにしていた放射線医学総合研究所の『放射線と地球環境』(研成社)を拾い読んだ。 夜半はなぜか、ジョニー・ウィルキンソンのドロップゴールが鮮やかだった前回のラグビー・ワールドカップのDVD記録をずっと見続けた。日本に必要なのも、一進一退の停滞と膠着を破るドロップゴールなのだろうか。 4月10日(日)。全国知事選は民主党の惨敗だったが、NHK以外は速報もしていなかった。自民党が勝ったわけでも無所属が勝ったわけでもなく、どこも「勝ち」はしなかったのだ。 いまさら「勝ち負け」ではあるまいに、民主主義というのは「勝ち」が「負け」の面倒を見る義務があるというルールになっていて、そのくせ多数の「勝ち」が体制を握ることになっている。これ、別名を代理民主主義という。困ったもんだ。では「負け」が少数かといえば、そうではない。大半の「負け」の中にこそ、大多数の世界の歴史の動向が潜んでいる。 何はともあれ、3・11によって、日本の大多数の動向をどうすべきかということが、やっと課題になってきた。「国破れても、山河あり」なのか、「山河破れて、国はあり」なのか、そこを問わなければならなくもなっている。それなら、国とは何か、山河とは何か、「うみやまのあひだ」(折口信夫)とは何か。 日本でクニといえば、長らく「お宅のおクニはどこですか」のことで、つまりは生まれ故郷のことだった。若山牧水(589夜)はそういう国を詠みつづけた。「山ねむる山のふもとに海ねむる かなしき春の国を旅ゆく」。 3・11は東北と北関東の国々に壊滅的な打撃をもたらし、いま凄惨な春の国を迎えつつあるけれど、日本人はその春の国々の惨状にやっと「クニ」を思い出したのだ。ということは? そうなのである、どうも現在日本にはクニが欠乏しすぎていたわけなのだ。 夕方、目の焦点が合いにくくなっているので、目薬を買いに出て、ついでにコンビニで「文芸春秋」5月特別号を入手、近くの珈琲屋で目を通した。「東日本大震災・日本人の再出発」の特集だ。41人の“叡知”が「われらは何をなすべきか」という提言を寄せている。 たとえば佐野眞一・佐藤優・辺見庸・岸田秀など、なかには本質の一部を鋭く衝いたものもあるにはあったが、最初に川島裕侍従長が綴った「天皇皇后両陛下の祈り・厄災からの一週間」を慈雨のように読んだためか(いささか涙ぐんでしまった)、その次に麻生幾の「無名戦士たちの記録」や陸前高田の戸羽太市長の「波こそわが墓標」を読んだせいか、これらのあとに目を通した提言集からは、残念ながら「クニの将来」は浮上してこなかった。 それにしても「月刊文春」の編集力はあいかわらず凄い。特集だけじゃない。柳田邦男の「問われる日本人の想像力」、福島県三春に住む玄侑宗久が「なぜ安定ヨウ素剤を飲んだか」という話、石川正純・岡本浩一の「本当は一年かかる原発処理」、さらには立石泰則の「さよなら!僕らのソニー」や池上彰が何人もの専門家たちとの対話を通して案内している特別企画「試練を乗り越える信仰入門」など、若い世代がぜひとも読むといい。 ということで、喫茶店から戻ってやっとその気になって、この「千夜千冊」を書くことにしたわけだ。初めて雑誌をとりあげることにした。ま、番外録だからいいだろう。

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