苦しい年金生活 思い出の服を金に
初冬の冷えた車内でエンジンを切って、達也さん(50代)は上着を布団がわりに掛け、倒した運転席で目を閉じますが、寒さと不安で寝付くことはできませんでした。達也さんは高校卒業後、正社員として大手工作機械メーカーの関連工場に勤めました。30代で結婚、1男1女に恵まれ、ごく一般的な穏やかな暮らしを送っていました。40代になり職場でリーダーを任されるようになった頃、会社の業績が急激に悪化。過重な業務が与えられ、達也さんは精神的にも体力的にも限界に追い込まれるようになってきました。ひどい腰痛と原因不明のめまいに襲われる日々が続き、45歳の時に会社を退職。失業手当を受けながら仕事を探しましたが再就職は思った以上に困難でした。しだいに妻との仲は険悪になり離婚。自分の手元に残したわずかな預貯金は思いのほか早く消えました。カードローンは上限に達し、家賃も光熱費も支払えず、ついに退居を迫られました。11月のある日、家族との思い出が詰まった軽自動車に最低限の荷物を積み、行くあてなく車を出しました。仕事が決まるまでの数日のつもりだった車中生活は気が付けば1か月近くが経っていました。手持ち金は350円、前日にコンビニのおにぎりを口にしたのが最後の食事でした。
なお、「断捨離をして困ったことや後悔したこと」についても質問をした結果、「後で必要になり、結局再購入した」「思い出の品を処分した結果、後で後悔した」という意見がみられ、断捨離の際に捨てすぎていないか注意が必要なことが分かります。
聞くと、コロナ禍で従業員を雇えなくなり、現在は店長として1人でお店を経営。しかし、食材の高騰で経営は苦しいという。
最も処分に迷うのが、思い出の品ではないだろうか。本人にとっては貴重な人生の一コマだが、昔のアルバムが収納をぎっしり塞いでいるとすると問題だ。思い出のために家賃や固定資産を払っていることになりかねない。
実家じまいに関する調査を見ていると、処分費用が数十万円というのは珍しくないようだ。どんなに思い出深いものでも、他人にとってはゴミでしかなく、大きな負債になりかねない。
現在67歳。3人娘が結婚し、夫と二人で暮らしています。長年の勤めを辞め、新しいステージをスタートしました♪ 一日一日を楽しみながら、夢を追っかけている途中です。初めて経験するシニアライフ!笑 日々のあれこれを残していこうと思います。
青春の思い出はないが、もったいないとの未練が断ちがたいのが、これらだ。出番は来ないとわかっていても、金額の数字がちらついて簡単に手放せない。そして延々とクローゼットや収納庫の場所を占拠し続ける。
預けた物は必ず取りに来る。その思いが大きな力となりそうだ。
それを目にしたとたん青春の一コマが蘇り、「懐かしい……」と口にしてしまうのが、これらではないか。人生の折々を思い出し、「引退して時間ができたら、もう一度挑戦しよう」と甘酸っぱい気持ちになってしまう。
現在私は、「株式会社湯気」のメンバーとしてD×Pタイムズの企画・記事作成に関わっていますが、その中で、D×P代表の今井さんをはじめスタッフさんたちが日々寄付集めに苦心する様子を目の当たりにしています。おこがましいとは思いつつも、私みたいな超一般人が寄付と出会ったときのエピソードをシェアすることが、何かの役に立つかもしれない。そう願いながら、書き進めていきます。
そんな中村さんの今の“生きがい”を聞いてみると―(中村さん)「森進一さんです。ファン歴40年以上。昔はツアーでハワイまで行きました。主人も森さんの歌が好きで、『襟裳岬』とか、一緒に歌ってました。やっぱり、人生は楽しまないとあかんからな、ということで、今も、どうにか一人ですけど、やっていけていると思います」 亡き夫の分も、今を懸命に生き抜き、笑顔が絶えない中村さんでした。
夫婦の時間をかみしめるように、たくさんの思い出を紡いできた中村さん夫妻。 2023年1月6日、夫の浩之さんが誤嚥性肺炎により、病院で息を引き取りました。85歳でした。
幸せな新婚生活がスタートしたかと思いきや、当時はローンの支払いに相当苦労したといいます。(中村さん)「ローンを30年近く払いましたかね、主人が定年するぐらいまで。もう1軒、主人の親のローンも払っていたので、私は内職をしていました。ローンの1件目を、ちょっと支払うぐらい頑張ろうと思って」 家計の負担を少しでも軽くするため、中村さんはミシンを使ったタオルの仕上げ作業の内職を行い、50代になってようやくローンを払い終えました。
断捨離は、単なる片付け論と認識している方も多いと思いますが、ヨガの思想が元になっているため、片付けとは異なるものとされています。


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