動画配信期間:公開日から2週間
【お知らせ】野村雅道氏の相場見通し動画は、10月29日をもちまして配信を終了いたします。長らくご視聴いただき、誠にありがとうございました。
お知らせ:YouTubeでも外為マーケットビューを配信中
外為市場に長年携わってきたコメンテータが、その日の相場見通しや今後のマーケット展望を解説します。
野村雅道 氏
FX湘南投資グループ代表 1979年東京大学教養学部を卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行。82年ニューヨーク支店にて国際投資業務(主に中南米融資)、外貨資金業務に従事。85年プラザ合意時には本店為替資金部でチーフディーラーを務める。 87年米系銀行へ転出。外資系銀行を経て欧州系銀行外国為替部市場部長。外国為替トレーディング業務ヴァイスプレジデントチーフディーラーとして活躍。 財務省、日銀および日銀政策委員会などの金融当局との関係が深く、テレビ・ラジオ・新聞などの国際経済のコメンテイターとして活躍中。為替を中心とした国際経済、日本経済の実践的な捉え方の講演会を全国的に行っている。現在、FX湘南投資グループ代表。
本サイトに掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません。また本サービスは、投資判断の参考となる情報の提供を目的としたものであって、投資勧誘を目的として提供するものではありません。投資方針や時期選択等の最終決定はご自身で判断されますようお願いいたします。なお、本サービスの閲覧によって生じたいかなる損害につきましても、株式会社外為どっとコムは一切の責任を負いかねますことをご了承ください。
円安の正体 国力でも金利でもない為替を決めるのは需給だった 10月29日
一般社団法人サステナヘルス代表理事 2022年12月、岸田総理は、防衛費のGDP比2%への増額の財源約1兆円を、法人税、所得税、たばこ税の増税により確保すると表明した。閣内、与党内の調整不足も見受けられたが、次世代に対する責任を強調し、「我々が未来の世代、未来の日本に責任を果たすために、どうか御協力をお願いいたします」と率直に訴えた岸田総理の決断と真摯な姿勢を高く評価したい。 一方で、増税に対する「街の声」は厳しい。医療・介護や少子化対策の充実、増税なら物価対策を、といった声も多く報道されていた。しかし、いのちを守る手段は医療や社会保障だけではない。 先の大戦では、軍人軍属、民間人合わせ、300万人を超える死者を出した。東京大空襲では実に一晩で10万を超える人が命を落とした。ひとたび戦争が起きれば、普段の医療、公衆衛生関係者の努力もあっという間に吹き飛んでしまう。 台湾海峡有事の可能性も含め、緊迫する東アジア情勢や日本を取り巻く安全保障環境を考えると、防衛費の増額はむしろ遅すぎた感すらある。重要なのはそれだけではない。上下水道や橋梁、道路などのインフラの維持や更新、教育や研究開発にも財源がいる。 このようなニーズを満たすためには、本当は「異次元の負担増」が必要だ。少なくとも消費税は20%を、医療システム維持のためには保険料の倍増を目指したい。 「街の声」に寄り添うだけでは、財源はいくらあっても足りない。「庶民の味方」でいるだけでは、結局のところバラマキ政策ばかりになってしまう。
駒澤大学法学部准教授・アイルランド国立大学ダブリン校(UCD)客員教授 昨年(2022年)春からアイルランド共和国にて在外研究をしている。中学生で訪ねて以来、40年ぶりの再訪である。我々がバブルと「失われた30年」を過ごしていたこの間、ヨーロッパの最貧国であった同国はIT産業の欧州の中心となり、1人当たりGDPや労働生産性などの経済指標のみならず、幸福度(国連)やジェンダー指数(世界経済フォーラム)でも日本を大きく引き離す。40年でアイルランドは豊かで自由な国へと大きく変わっていた。 なぜ変われたのか。さまざまな要因があろうが、政治コミュニケーションの観点からは、公共的な課題をめぐるコミュニケーションのしつらえと気構えのよさが見える。現状を報じ、議論の場を作るジャーナリズムがよく機能している。公共放送RTÉでは政治家や当事者を招いた地味なインタビューが毎日おこなわれている。プロのジャーナリストたちの質問は勇敢で鋭いが、政治家や当事者も議論に積極的だ。 議論といえば、15年前のアメリカ大統領選挙の視察以来、日本の選挙時の戸別訪問禁止に違和感を感じている。「選挙は候補者や政党が国民と対話するイベントでもあるのに、なぜ日本では人々が玄関先で生の声で議論できないのか」。昨年のスウェーデン総選挙の調査の際にも聞かれたが答えられなかった。選挙時に人の家を訪問することが罪になる、こんな「先進国」は日本ぐらいだ。今年はインターネット選挙が解禁されて10年。ネットの声が政治コミュニケーションに反映されるのはよいことだが、「生の声」でバランスをとる必要もあろう。戸別訪問は日本の政党政治を深化させるメディアでもありうる。1925年の選挙法改正で導入されたこの規制、100年を前に変える議論を始めたい。
一般社団法人日本投資顧問業協会会長 コロナパンデミックに翻弄された世界と日本。その渦中にロシアによるウクライナ侵攻が現実化し、世界と日本のリスクは拡散、かつ深刻度を増している。感染症のみならず、その他にも安全保障、サイバーリスク、食糧自給・エネルギー危機、気候変動・地震など自然災害、政府債務増大による財政危機、少子高齢化の進行、研究力や高等教育の劣化など広範囲に及ぶ。リスクの所在が幅広く、しかも緊急度が高まったことが最大の特徴といえる。こうしたリスクに対処するためには財政的な裏付けが欠かせない。裏付けがなければ安全保障面では抑止力・防衛力強化の具体策が描けず、また災害対策、高等教育や研究力の劣化にも対処できない。 その点からすると、日本が深刻なのは「失われた30年」ともされる経済低迷の長期化だろう。2022年のわが国GDPの世界シェアは円安の進行もあり4%台前半に落ち込む可能性が指摘されている。GDPシェアのピークは1994年の18%であり、日本経済の存在感は急速に低下する深刻さだ。 GDPは付加価値の総和だから、価値創造力の劣化は価値創造主体である企業の劣化と言い換えることもできる。かつては世界をリードする日本企業は目白押しだったが、今や時価総額で世界の上位に位置する日本企業は見当たらない。その結果、豊かさの指標ともされる1人当たりGDPもシンガポールや香港の後塵を拝し、もはや日本はアジアの先頭にはいない。賃金も長期低迷が続き相対的貧困化が進行中ともいえる。 財政的な裏付けに目途をつけるには、日本企業が企業家魂を発揮し価値創造力復活に本気で取り組まねばならない。昭和モデルを脱し知価社会を見据えたイノベーティブな企業経営への転換が急がれる。
ドイツ在住ジャーナリスト コロナやウクライナ戦争でグローバルサプライチェーンの脆弱性が明らかになった。こういう問題を鑑みながら、欧州、特にドイツでの課題を考えたい。 この2年で、安価な人件費のみを理由に製造拠点を選ぶリスクがよくわかった。欧州ではこれに呼応するかたちで、製造拠点を欧州内に置く動きもある。それは依然、人件費の安価な東欧に注目がいくが、工業用ロボットの普及の目覚ましいことを勘案すると、今後は脱労働集約型のスマートファクトリーが増え、中欧でも工場をつくるケースが増える可能性がある。 そうなると、ドイツの地域経済振興でいう立地要因の発展が課題となるのではないか。 立地要因とは都市が企業の事業拠点として魅力的かどうかを見る基準だ。すなわち道路や公共交通、エネルギー供給などの「ハード」インフラが揃っているか。教育機会の多さ、ショッピングや外食、文化・スポーツ、余暇などの高い生活の質のための「ソフト」が十分整っているかを問う。 加えて2000年ごろから、ドイツをみると、近隣都市の連携「大規模都市圏」を構成している。この中で、スマートな製造、それに対応する流通、そして研究開発といったものをモジュール化することが重要だ。そのために必要な立地要因の追求が今後進むのではないか。さらには大都市圏の相互ネットワークの緻密化も大切な問いになるに違いない。ドイツの事情を加味すると、「インダストリー4.0」がより確かなものになってくるといえる。 なお、大都市圏については、日本でも名古屋を中心に半径100キロ圏内を経済圏としたグレーター・ナゴヤ・イニシアティブなど良く似た取り組みがある。広域地域経済圏の視点は欧州以外でも意義あるものになるかもしれない。
熊本県知事 熊本県では、甚大な被害が発生した平成28年熊本地震、そして令和2年7月豪雨からの創造的復興を目指して、着実に取組みを進めている。さらに私は、その先の地方創生の姿として、熊本が持つ強みを生かして、「5つの安全保障」に貢献する将来像を描いている。 1つ目は「経済の安全保障」。台湾のTSMCの本県への進出を機に、熊本の強みである半導体関連企業の集積をさらに進め、世界の半導体ニーズを支えることで、日本の経済安全保障の一翼を担っていく。 2つ目は「感染症に対する安全保障」。熊本県も出資するKMバイオロジクスが新型コロナウイルスの不活化ワクチンを開発している。これが完成すれば、熊本から全国へ国産ワクチンを安定的に供給することができるようになる。 3つ目は「災害に対する安全保障」。大規模災害の経験や教訓を生かし、災害対応のノウハウを積極的に国内外に発信していく。また、九州を支える広域防災拠点としての機能強化にも取り組む。 4つ目は「食料の安全保障」。ロシアのウクライナ侵略の影響などにより、その重要性に関する国民の意識が高まっている。全国5位の農業産出額を誇る農業県として、日本の食料供給の役割を担っていく。 5つ目は「地球環境の安全保障」。熊本県は、国に先んじて「2050年県内CO2排出実質ゼロ」を宣言。企業との連携や、県民運動の推進などにより、あらゆる分野でCO2削減の取組みを進めている。 いずれも熊本のみならず、日本、そして世界が直面している課題である。熊本のポテンシャルを最大限に生かし、「5つの安全保障」に貢献するとともに、50年後、100年後の熊本の更なる発展につなげていく。
公益財団法人ライフサイエンス振興財団理事長 中国の科学技術は、その圧倒的なボリュームにより世界を牽引している。2018年から2020年までの科学論文生産において、中国は総数だけでなくトップ10%論文数、トップ1%の論文数の全てにおいて世界トップである。また、世界一流の学術誌に掲載された論文数をカウントしたNature Indexでも、中国は米国を凌駕している。これを支える研究開発費では、米国が約71.7兆円で世界1位、中国が約59兆円で2位と近づきつつあり(2020年)、研究者数で見ると、世界1位は中国で228.1万人(2020年)、2位は米国で158.6万人(2019年)と米国を上回っている。 しかし、ハイテク開発やイノベーションについては、まだ中国は米国や欧州と互角とは言い難い。例えば新型コロナのワクチン開発であるが、中国で開発されたワクチンはmRNAワクチンではなく従来型の不活化ワクチンで、有効率が低かった。また「中国製造2025」で、半導体の自給率を2025年までに70%に引き上げることを目指したが、その後の米国などの経済安全保障政策の影響もあって、目標より大きく後退している。 中国の科学技術の今後の懸念は、経済の行方である。米国との貿易戦争やデカップリング、ロシアのウクライナ侵攻による欧州の景気後退、世界的なエネルギー危機など、中国経済を取り巻く国際環境は非常に厳しい。国内的にも、生産人口の減少、不動産バブル崩壊の懸念、強権的な新型コロナ対策への不評といった難問が、中国経済の足を引っ張る可能性がある。中国が、この様な経済の状況に直面して、これまで通り米国や欧州諸国などに伍して科学技術を発展させられるかどうか、その場合日本への影響はどうか、注意深く見守っていく必要がある。
大阪大学大学院法学研究科教授 現在、日本の市町村では現在の水準での行政サーヴィスの供給が難しくなっている。感染症対策も相まって、人工知能やロボティックス、情報通信技術の導入などの行政の高度専門化が必須の課題となっている。 確かに、零細な市町村が単独で高度専門化に対応することは難しい。しかし、隣接していなくとも「やる気のある市町村」が結集すれば、費用を抑えて新技術を導入することはできる。ただ、市町村長の政治的な決断が決定的に重要となる。都道府県の支援があれば一層大きく進むだろう。 さらに、日々高度化する技術や知識に対応するため、新しい人事制度も重要である。現状では、完全外注や任期付職員の採用でデジタル化が推進されていることが多いが、これでは庁内全体での政策展開にはつながらない。そこで、入庁10年目以上の福祉、教育、土木などの担当職員に、情報担当課や庁外に週1日だけでも勤務させて、専門家から学ぶ機会をもつことが全庁的展開への近道である。エフォート率で勤務管理される「併任」職員を確保する仕組みが必要である。 同時に、業務実施での標準作業手続きの確立も重要である。経験豊かな職員の口伝頼りの実施は、柔軟な人事配置の足枷となる。現在の業務実施のままデジタル化しても庁内に統合不能なシステムが並存してしまう恐れもある。さらにいえば、同じ政策でも実施方法が異なることで市町村間の連携も困難となる。できるだけ標準化してからデジタル化すれば、その効果は大きい。 以上の取り組みは、その気になれば着手できるものである。新年はアップグレイドした行政への第一歩の1年であって欲しい。
内閣官房参与兼内閣官房全世代型社会保障構築本部事務局総括事務局長 日本は、いよいよ本格的な「人口減少時代」に突入する。これまでの少子化は初期段階に過ぎず、“静かな危機”と言われた「少子化」がこれから牙を剥き始める。約7,500万人の生産年齢人口は、2040年までに約2割の1,500万人減る。2040年以降は、総人口が年間約100万人ずつ減っていき、100年後には5,000万人を切ると予測される。これは、100年前の5,000万人時代に戻るのとは全く違う。当時は、高齢化率5%の若々しい国だったが、将来の日本は、高齢者が人口の40%近くを占める「年老いた国」である。 人口減少下で1人当たり生産性を向上させるべきは当然だが、スウェーデンの経済学者ミュルダールが指摘したように、人口減少が進むと、労働力のみならず、消費者も減少し、それが投資の減退を招くことで、進歩が止まり、結果として失業と貧困が増加するおそれが大きい。さらに、若年の労働意欲・生産性が低下し、広範な社会心理的停滞が起きるとともに、社会保障の機能が大幅に低下するなど、極めて困難な事態を招来しかねない。 ミュルダールは、こうした事態を避ける「予防的社会政策」として、子育てを親のみの責任とせず、全ての子どもの出産・育児を社会が支援する「普遍的家族政策」を主張し、スウェーデンはこの考え方の下で、手厚い育児休業や保育制度を構築し、出生率回復を遂げた。ドイツも2000年代に、これをモデルに制度改革に踏み切り、成果をあげている。 日本の現状は、これらの国より格段に厳しいが、一刻も早く「少子化・人口減少問題」を国が取り組むべき課題の上位に位置付け、普遍的な出産・育児支援をはじめ効果的と考えられる政策を総動員し、この危機的な状況から脱却することを目指さなければならない。
番組コメンテーターの橋下徹氏は、「円安になると大変だとよく言われるが、日本は、GDP成長率や賃金上昇についても円安の方がプラスになるのではないか」と指摘した。
龍谷大学研究フェロー 都市学は、前世紀後半期以来の、都市の積弊を清算する新しい「都市の『かたち』」を語り始めた。キーワードは、地球環境に止まらず、経済的、社会的に「持続可能な社会を構築する」である。公共交通で移動し、職住接近を歓迎し、コンパクト/高密度に暮らす。20世紀末の欧州に発した都市思想である。 逆にスプロール開発は、移動を車に依存し、低密度の土地利用に走る。大規模商業施設やビジネスパークを郊外開発し、周縁に戸建て住宅を連棟して建てる。環境負荷が大きい。それが批判された。その立ち位置からコンパクトシティ論や、米国発のニューアーバニズム運動が注目された。 ところが今般のパンデミックでは、都市の高密度/公共交通が「感染拡大の元凶になった」と指弾された。米国では、パンデミック初期のロサンゼルスは、ニューヨークに比べて感染がゆるやかだった(後に逆転)。それを早とちりし、郊外大好き派は、保守主義の論客J. コトキンを陣頭に「今般の都市危機では、車で移動し、希薄に暮らす郊外暮らしに軍配が上がった」と論じた。日本でも、高密度/コンパクトシティ批判があった。 高密度は都市の効率を高める。都市学の公理である。実際のところ高密度/公共交通が感染を加速した、という疫学的な証拠はない。むしろ人種/所得格差、及び都市政府が迅速に動いたか――その差が感染の拡大を左右した。ポストコロナ禍の都市学は、この間に得た「都市の『かたち』」をめぐる共有知を再確認し、土地浪費型のスプロール開発を喧伝して時代の針を逆転させる、反動的な都市学を糾弾する覚悟を持たなければならない。国連も2022年10月、公共交通と高密度な土地利用を重視する環境報告を発表した。
慶應義塾大学経済学部教授/東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)チーフエコノミスト このところ地政学的緊張はますます激化し、経済安保をめぐる動きも急である。昨年(2022年)10月に米国が打ち出した先端半導体関連品等の輸出規制により、相手側の弱体化を意図するオフェンシブなサプライ・チェーン・デカップリングは新たな段階にはいった。12月には我が国も、経済安全保障推進法のもと11の特定重要物資を指定し、供給途絶に備えるためのディフェンシブなデカップリングも一歩進んだ。 それでもまだ、デカップリングは世界経済全体を覆いつくすことにはならず、結局は部分的なものにとどまる公算が大きい。貿易・投資管理の外にある経済は活発に動いている。日本のメディアばかりに触れていると、グローバリゼーションの時代はもう終わって世界中が大不況に見舞われているかのような印象を抱いてしまうが、そんなことはない。2022年、確かに中国経済は不調であったが、それ以外のアジア諸国ではベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、インドなどコロナ前以上の経済成長率を達成した国も多い。機械産業を中心とするファクトリー・アジアは世界における相対的な位置をむしろ高めている。 経済安保についてはしっかり手当てつつ、政策手段をできるだけ明確にし、貿易・投資管理も効率的に運用して、不必要な遵守費用や不確実性が生じないようにしなければならない。また、貿易・投資規制の外側にある経済については、ルールに基づく国際貿易秩序をできる限り広く維持し、経済活力が損なわれないよう努力していくべきである。 G7における地政学的議論のみを追っていたのではバランスを失する。対ASEAN経済外交は、日本にとってpsychological balancerとしての役割を果たしうる。
東京大学社会科学研究所教授 近年、子育て世帯向けの様々な給付制度ができている。それ自体は良い変化だと思うが、その多くに所得制限が設けられており、年収900万円を超えたあたりから様々な給付が受け取れなくなる。このため制限に引っかかる「高所得世帯」の不満が高まってきている。 すべての子供に平等な権利が与えられるならば、親の所得で給付の有無が左右されるのはおかしい、というそもそも論に加えて、所得制限の閾値ギリギリにある世帯の勤労意欲を削いでしまうという問題もある。 例えば、東京都の高校の学費援助の所得制限は世帯年収910万円である。高校の学費として年間約46万円の給付が、この所得制限を超えるとゼロになる。年収が900万から920万に増えると手取りの可処分所得は26万減るのだ。年収が増えると手取りが減る逆転現象は、所得制限を超えないように就労を制限するインセンティブをもたらす。子育て世代で比較的高所得を得ているのは働き盛りの高技能労働者であり、この層に「稼ぎすぎると損」という感覚が拡がってしまうことのもたらすマクロ経済に与える悪影響は看過できないように思う。 国や地方自治体の財源が有限である以上、経済的に必要性の薄い世帯への再分配は極力減らすべきではある。しかし、個別の給付それぞれに所得制限をかけるのではなく、所得税の一部としてまとめて累進的に取り戻すような仕組みはできないものだろうか。所得税の税率と控除額は税引き後の所得が不連続に変化しないよう設計されているし、あくまでも親の所得に対してかかる税金ということで、子供の権利の平等にも抵触しないはずだ。
九州大学名誉教授 オーストリアのフォラールベルク州は農村的色彩の濃い、佐賀県程度の面積で人口40万人強の地域である。1980年代初めまで繊維産業に特化していた。しかし、金属・機械・電子機器製造等の様々な諸企業がそれ以前から徐々に生まれ、グローバリゼーション進展下で次々と「隠れたチャンピオン」へと成長することを可能にした場所である。 2022年10月に同地を3年ぶりに訪問した際に、“Plattform V”という団体が2018年4月に誕生したことを知った。Vは州名、信頼、結びつける等のドイツ語単語の頭文字である。この団体は、同地の諸企業に共通する諸問題の解決のために企業の枠組みを超えて従業員どうしが情報・知識を交換して相互学習する場である。それによって新しいアイデアが生み出されて、これを参加企業が迅速に実行することが期待されている。乗用車依存社会からの脱却、デジタル化への対応、高い質のサービスを提供できる地域社会の形成が大きなテーマであり、これらをより具体的な個別テーマに細分したワークショップがいくつも立ちあげられ、企業横断的な相互啓発の場となっている。 団体創設の発案者は地元の建設企業CEOであり、加盟企業は45社に上る。朝食会や対面でのワークショップの活動によって問題解決のためのアイデアを得たならば、これを実行に移すのは各人・各企業の自由に委ねられている。この団体活動によってイノベーション創出のための地域環境の魅力が高まり、各社従業員の才能を引き出すとともに才能ある若者をフォラールベルクに引きつけることが期待されている。 COVID-19蔓延故に活動が停滞した時期もあっただろうが、それを克服して団体活動は活発化している。活動の成否を見極めるためにはさらに数年を必要とするであろうが、産業や企業を横断しての会合に従業員が積極的に参加することに賛同する企業が多数あるというフォラールベルク社会の特質から学べることはたくさんある。
日本国際問題研究所客員研究員 2022年はひどい年だった。ロシアがウクライナに軍事侵攻し、世界経済では40年ぶりにやって来たインフレを各国が利上げで迎え撃ったせいで、今年は不景気とインフレの年になりそうだ。 私の持ち場である中国では習近平氏への権力集中が進んで、まるで歴史のフィルムを巻き戻すように息苦しい政治体制に逆戻りしつつある。 しかし、「禍福はあざなえる縄のごとし」で、希望が持てる出来事も2つあった。 1つは10月の米国中間選挙で民主党が善戦し、トランプ氏が目指した「赤い波」(赤をシンボルカラーにする共和党の大勝利)は起きなかったことだ。理由は他にも人工中絶問題とかがあったらしいが、我々が教わってきたアメリカの民主主義やフェアネスの考え方が修復困難なほど変質した訳ではないと知らされた気がして、ほっとした。 もう1つは、中国で続いたゼロ・コロナ政策の非合理さにたまりかねて、各地で住民が抗議行動を起こしたことだ。「監視社会」化が進み、言論統制、行動監視も日増しに厳しくなる中、「中国人は従順な羊の群れと化したか?」と感じていたが、暮らしや健康など譲れない利益が危機に晒されると、勇敢な抗議活動を始める中国人の気骨は変わっていなかったと感じた。 政府が防疫方針を180度転換したのは、経済がゼロ・コロナ政策のせいで尋常でない苦境に陥っていることを重く見たからだという説もあるが、抗議運動が無関係だったはずはない。中国人は未だ困難の中にあるが、今回の出来事は大切な「体験」になったはずだ。 2023年が始まった。昨年から続く問題は解決された訳でなく、新たな問題も持ち上がりそうだが、「世の中悪いことばかりでない」ことに思いを致して新しい年に向かいたい。
東京都市大学環境学部環境創生学科教授 自宅を中心においた身近な生活環境の重要性が指摘されている。パリの15分都市、ポートランドの20分圏ネイバーフッド、メルボルンの20分生活圏、バルセロナの10分圏界隈構想など、いずれも自宅を中心に日常生活で必要な機能が10~20分の範囲で入手できる都市を目指すものである。 近代化以降、交通システムが発展し、さらに情報システムが普及することにより、地理的距離の重要性が大幅に下落し、グローバル化を前提に広範囲の移動や交流を前提とした都市づくりが進められてきた。近年、地理的距離が見直される背景として、環境負荷軽減や自動車依存からの脱却、コミュニティの希薄化、人間らしさや健康・QOL(生活の質)の重視がある。さらに最近年は、コロナ禍やデジタル化による自宅滞在の長時間化やテレワーク等のワークスタイル変化がある。 日本でも、徒歩圏内における日常生活機能の強化については、大いに議論されている。高齢社会で安全で健康な生活を送るうえで、歩きやすく徒歩で暮らせるまちの重要性が指摘され、少子社会で安心して子育てのできる環境として、身近な地域での遊びや学びの空間や保育支援の整うまちの重要性が指摘されている。一方で、大型スーパーの出店等によりかつての近所の店は空き店舗化しており、近くの公園は荒廃化し、住宅地には空き家や空き地が目立ち、新たなニーズに対応できていない。 日常生活サービスの提供は、地域密着型のサービスが求められ採算性が低い場合も多く、グローバル企業などは手が出しにくい。しかしながら、これらのサービスが提供できる事業体が十分に育っているわけではないことが大きな問題である。地域型の共益系サービスが提供できる多様な供給者が育つことが、日常生活圏内での豊かな暮らしを実現するうえで不可欠といえる。



コメント