学生集め苦労 大学 戦国時代
名古屋芸術大学での学びと日本での貴重な経験愛知県は戦国三英傑ゆかりの地であり、自由に好きなことを研究できる環境に惹かれ、名古屋芸術大学を選びました。大学は多様な分野の学生が集う「虹色の学園」です。留学生向けのイベントも開催されるなど、異文化交流の機会が豊富でした。日本人学生との交流を通じて日本文化を学び、相互理解を深めることができました。日本では電車を使えばどこへでも行けるのでとても便利です。中古屋で珍しいお宝を探すことも楽しみでした。授業外の時間には、城巡りや博物館の見学をして過ごしました。留学は単なる学業の場ではなく、多文化を理解し尊重する貴重な経験です。将来の財産となることは間違いないでしょう。
そこで、自身の活動として「ファミ箏」という各種TVゲーム音楽を和楽器で演奏する集団を立ち上げました。単純に自分がTVゲーム好きということもありますが、知っている曲が演奏されるというのは興味をひきます。また、TVゲームに限らずエンターテイメントには歴史的、文化的な要素があるもので、それらを感じさせるものの作成にも取り組んでおります。具体例を示しますと、「信長の野望」の楽曲を尺八の三重奏で演奏しました。織田信長は戦国時代の方ですので、ゲームの舞台に合わせ戦国時代に日本に存在していた楽器でリアレンジする、ということでね。
本学の協定校であるブライトン大学(イギリス)との交流イベントとして毎年開催されています。その年の卒業制作作品の中から「ブライトン大学賞」として秀作が選定され、受賞者には賞金が授与されます。本学からは「名古屋芸術大学賞」を贈り、相互の交流を深めています。
長田 「ハノイ工科大学HEDSPI」は、ベトナムのIT産業振興を支援する目的で行われた、円借款によるODAとJICAの技術協力が合わさった事業です。ハノイ工科大学(HUST)で日本語ととともに実践的で高度なIT教育を行い、産業界のニーズに合った人材を輩出することが目的でした。本学は技術協力事業の代表として、慶應義塾大学と共同で総勢31名(本学13名、慶応7名、その他企業10名)の専門家チームを組織して、2006年9月から2010年2月まで事業を実施しました。
高田 大久保英嗣先生(第2代学部長)が「卒業研究は学生を成長させるから、ぜひカリキュラムに入れるべきだ」とおっしゃって、HEDSPIの時も大連理工大学でも組み入れましたね。
もちろん、学生の質の低下も原因の一つではある。不人気な大学が定員割れを回避するためにとるPR展開によって、「現在、日本の最高学府である大学には、本来であれば来てはいけないレベルの人間も、何の苦労もなく紛れ込んでいる」と辛辣だ。しかし、大学側にも原因があるようだ。前述の「手引書」に書かれていたのは、次のような内容。
飯田 情報分野の教育は、今後どうなっていくんでしょうか。研究対象はエネルギーや環境、医学など無限に広がっており、研究者にとっては戦国時代です。一方で、学生を社会に送り出すには、社会が何を求めているかも重要です。これだけ世の中が変わると情報教育も変えるべきところがあるのかと思ったりします。
交換留学に思いきって挑戦した先に、自分の可能性を広げる今がある私は学部時代に、デザインの本場で学んでみたいと思い、イギリスのブライトン大学に交換留学をしました。当時は英語力も足りず、自分のデザインを裏付けるバックグラウンドやプレゼン力も圧倒的に足らないと実感したため、再度しっかりと学び直したいという思いから、卒業後はロンドンのUCA芸術大学大学院に進学しました。大学院ではグラフィックデザインを専攻し、プロセスが重視され、しっかり理論的に考えて作品を制作することが求められる雰囲気が、自分には合っていると思います。学部時代の留学の経験は、自分の人生において大きな分岐点となったため、最初は漠然とした憧れでも、ぜひ挑戦してほしいと思います。
毎学期、西キャンパスアート&デザインセンターにて、協定校からの交換留学生が本学で制作した作品を展示する展覧会が開催されます。交換留学生にとっては留学中の目標となり、一般の学生や地域の来場者との交流の機会にもなっています。毎回、海外の感性にふれられる作品が展示され好評を博しています。
山下 今回のOIC新展開の一つのテーマが企業との連携であり、情報系にとっては多くの企業の本社が立地する地域の近くのほうがやはり連携しやすいという意見が学部内にも多かったです。また、少子化への対応として大学院などでの社会人教育が視野に入ってきており、その意味でもキャンパスに通いやすい立地というのが魅力だと感じました。
学生時代は、環境史に興味を持ち、古代ローマ帝国におけるローマ人の寿命と気候との関係について卒論を書きました。今思えば大それた考えかもしれませんが、環境史を研究することがきっと今現在自分自身が生きている世界に影響を与え、役に立つのではないかとの思いから、このテーマを選びました。私の場合、最終的には研究者ではなく、企業で働くという道を選択しましたが、学生時代に卒論制作という一つのことに真剣に打ち込んだことは、今の業務にも活きているのではないかと思っています。
皆さん、はじめまして。私は2007年からフランスに移り、今はフランス北東部ブザンソンにあるフランシュ・コンテ大学の博士課程で古代ローマ史、後期ローマ帝国における歴史書を主に研究しています。フランスに移ってから2年間は南仏プロヴァンス地方の都市エクサン・プロヴァンスの大学の語学講座でフランス語の習得に集中し、その後フランス東部の都市ディジョンにあるブルゴーニュ大学博士課程に入り、その後今現在在籍しているブザンソンのフランシュ・コンテ大学の博士課程に移りました。
ーー情報理工学部の大きな特色の一つに国際化があります。その背景や、大きな実績となった「ハノイ工科大学ICT高等教育人材育成プログラム(Higher Education Development Support Program on ICT:HEDSPI)」についてうかがいます。
大学時代に祖父を薬の副作用によりパーキンソン病症候群で亡くしたことをきっかけに、僕は史学科を卒業後、脳神経科学の道に進路を変えましたが、文系・理系・芸術を問わず、真理を解き明かし自分の言葉や感性でまとめ上げ、それをアウトプットするというプロセスはどの分野でも共通であり、史学科で培った新たな史実を解き明かす力は、初めはリンクするのに苦難はあっても、他の分野や社会でも通用すると確信しています。また古代ローマ音楽の再現にあたり、史料を集め文献を読む作業、さらに現代に制作された映画に登場するそれらしい楽器や旋律と史実との相違検証などは、そのまま脳科学分野における実験計画の設計や実験データの解釈などに生かされています。
私の専門は有職故実――髪型、衣装、風俗など室町、戦国といった武家社会の組織、社会のしきたりや生活作法の研究ですが、戦国時代は、現代社会に通じる文化風俗の元を見ることができますし、また手本となる事が多い時代だと思います。まずは、実力主義だったという点は現代にも共通する部分でしょう。戦国時代以前の室町時代までは、身分が定められていました。重臣の子は重臣に、下級武士の子はどんなに有能であっても下級武士。家来がいくら頑張ったって全部、主君の手柄になってしまう。ところが戦国時代は、皆さんご存知の豊臣秀吉も百姓の出身でしょう?どんな者でも実力次第でどんどん上っていくことが出来た時代です。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を始め、英雄もたくさん生まれました。私は日本の歴史の中で、生き方のお手本が得られるのは戦国時代しかないと思うんです。


コメント