ラーメンすする 世界に浸透した
話をラーメンの丼に戻そう。ラーメンを食べながら、なんとなく眺める丼の柄。大きく4つの柄に分類されるらしく、「龍」「鳳凰(ほうおう)」「雷文」「囍」などがある。「龍」は天帝の使者とされた空想上の動物。爪5つの龍は皇帝のみが使用を許される紋章で、臣下が用いる場合は爪4つ。本来、大変高貴な紋章である。「鳳凰」は空想上の鳥で、幸運を招く。またラーメン丼のトレードマークというべき四角い渦巻き模様は、雷をかたどったもの。古代中国の青銅器などによく描かれていた。さらに「囍」は喜ぶ新郎新婦を意味し、本来、結婚式に用いられる文様。いずれもめでたい意味ではあるが、ラーメンとの直接の関係はなく、中国をイメージさせる柄として丼に用いられものだという。
ラーメン(正確には中国の麺料理)を初めて食べた日本人としてよく知られているのが、水戸黄門こと徳川光圀(とくがわみつくに)である。光圀は朱舜水(しゅしゅんすい)という儒学者を招聘(しょうへい)し、学問の師としたが、舜水は中国の食材などを取り寄せて、光圀に麺料理を振る舞った。
しかし、日本のラーメンが世界に広がりを見せる中で、麺を啜って食べるという文化も徐々に外国人の間で浸透しつつある。インバウンド観光客の中には日本を訪問する目的の一つに「本場のラーメンを食べたい」ということもあり、日本のラーメン店では箸を使い麺を啜っている光景も見かけることが増えてきた。
私が子どもの頃、よく観ていたアニメに『新オバケのQ太郎』(1971~72年)がある。その中に、Q太郎らの家の近所に住む小池さんというもじゃもじゃ頭のおじさんキャラクターが登場する。ラーメンが大好きで、いつも丼を抱えて即席麺を食べている。押しいれを開けると、大量に買い込んだ即席麺の袋が雪崩を起こすのが印象的だった。それを観ながら、「うちとおんなじだな」と子ども心に思っていたのを覚えている。そのぐらい、我が家でも即席麺は頻繁に食べていた。具材はなく、麺とスープだけなのだが、おいしく感じられた。私がラーメン好きになった原点は、間違いなくここにあると思う。
大久昌治(おおひさしょうじ)・タツ夫妻が始めた同店は、王文彩(おうぶんさい)という中国人の料理人を雇っていた。王の作る「肉絲麺(ロースーメン)」は日本人客にも好評だったが、これを「シナそば」と呼んで客が注文することに、タツは心を痛めていた。シナという言葉に、中国人を軽侮するニュアンスが含まれていたからだ。王のためにも、なんとか呼びやすい名前をと思案していたタツは、麺が出来上がると王がいつも大きな声で「好了(ハオラー)」(出来上がったよ)と言うことに気づき、昌治と相談の上、壁にカタカナで「ラーメン」と書いた品書きを掛けたのだという。
「ラーメンが和食? それはおかしい。そもそも中華料理店で供されるラーメンが、和食のはずがない。大体、ラーメンの丼には、龍やら、おなじみの雷文(かみなりもん)が描かれていて、どう見ても中華ではないか」……。そんな声が聞こえてきそうである。もちろんその通りで、中国由来の食べ物であることは間違いない。
たとえば日本そば屋をやっていた人が、戦後、小麦は配給があったので、やむなく中華そばに転身したケースがある。東京・荻窪の「春木屋」などがそうだ。また外地から引き揚げてきた人が、手を出すケースも多かった。昭和30年(1955)頃に、スープに味噌を使ったラーメンを開発し、札幌ラーメン発展のきっかけをつくった「味の三平」がそうである。白濁豚骨スープの博多ラーメンも、戦時中に中国で食べたスープをさらに工夫して生まれたという説がある。さらに広島県尾道市の造船所で働いていた台湾の朱阿俊(しゅあしゅん)が、戦後に職を失い、自ら工夫して生み出した中華そばが尾道の「朱華園」となった。
さて、味の違いのところでお伝えしたようにアメリカのラーメン屋さんは当たり外れがあります。アメリカに長期間になって来ると美味しいラーメンは確実に心の支えになりますよね?ということで、みなさんが充実したアメリカでのラーメン生活が送れるようにアメリカ国内での人気ラーメン店をまとめてみました。
2017年に本物のラーメンを伝えるべくシカゴでオープンしたラーメン屋さんです。ラーメンメニューは9種類と豊富で、トリノらーめんが一番人気のようです。サイドメニューもサラダから、おつまみ、丼ものまでたくさん種類があります。値段は$12〜$15くらいで平均的なラーメン屋さんの値段設定となっています。
そして、ラーメンの源流を語る上で欠かすことのできない店が登場する。明治43年(1910)に東京浅草に開店した広東(カントン)料理店、「来々軒(らいらいけん)」だ。同店が供したシナそばは「麺は小麦と卵にかん水、スープは鶏ガラと豚骨に野菜、具は焼き豚にメンマ、刻みネギ」と至ってシンプルだが、味は「醤油」だった。清国人が伝えた従来の南京そば、シナそばのスープが塩味だったのに対し、日本料理の基本調味料というべき「醤油」を用いた点に特徴があったのである。店頭に掲げた「滋養的 シナ料理 そば わんたん七銭」の看板とともに、来々軒の醤油味のシナそばは大評判となり、現在のいわゆる「東京ラーメン」の原型になったといわれている。
「まず前提として当館に来られるインバウンドの方たちと、浅草や京都などの観光地でラーメンを食べている方たちとでは、客層や意識が違うと思います。当館には団体よりも個人のお客様が多く来られますが、母国でラーメンを食べて感動された方や、母国でラーメン店を開業するために視察に来られた方など、ある程度ラーメンを食べたことがある方が多い客層になります。
日本と比べるとアメリカのラーメン屋さんは$10から$15くらいするので断然高い値段設定となっています。それにチップもあるので、ラーメン屋さんに行って$20を超えてしまうことは稀ではありません。
戦後、中華そばと呼ばれていたものが、ラーメンという呼称で全国的に認知されるようになるのは、昭和33年(1958)のインスタントラーメンの登場がきっかけだった。安藤百福(あんどうももふく)が発明した、お湯を注いで3分間待つだけで食べられる即席麺(インスタントラーメン)のチキンラーメンが発売され、ちょうど普及し始めたテレビでCMが流れた。他社も即席ラーメンを発売し、これらは安価でおいしいと爆発的な人気を呼んで、ラーメンという名称が一気に日本全国に定着することになった。なにしろチキンラーメンの販売数は、発売翌年には年間7,000万食に及ぶ。10年後の昭和43年(1968)には、即席麺全体で年間33億食にまで成長した。家庭で手軽に食べられるインスタントラーメンが、いかに日本人に受け入れられたかがわかるだろう。
いまでこそ中国料理は日本でもポピュラーだが、江戸時代まで肉や動物性の油を用いた料理に縁遠かった明治の日本人にとって、最初のうちは抵抗があったという。しかし西洋の肉料理が広まるにつれて、中国料理も次第に受け入れられ、「シナ料理」と呼ばれた(当時、中国の王朝名とは別に、地域を指してシナとも呼んでいた)。それにともない「南京そば」も、明治30年代頃には「シナそば」と呼ばれるようになり、東京にもシナそばの暖簾(のれん)を掲げる店が現われ始める。
これはアメリカでラーメンが人気になった理由の一つでもありますが、アメリカのラーメン屋さんは、日本みたいに1人で行ってカウンター席に座りさっと食べてさっと食べるみたいな感じではなく、家族や友人など大勢でテーブルを囲みお酒や会話を楽しみながらラーメンを食べるというスタイルでやっているところがほとんどです。二時間以上滞在するお客さんもいたりするので、人気のところほどものすごい混みます。その上、予約もできないので外には待ちのお客さんで溢れかえることもあります。


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