日産が転職支援検討 追浜工場対象
同市によると、市内に日産と取引のある会社は800社程度ある。みなとみらい地区(横浜市西区)にある同本社ビルの売却案も浮上しており、影響の広がりが懸念される。山中竹春市長は追浜工場での生産終了を受け、「裾野が広い自動車産業で非常に遺憾」との認識を示し、「関連企業や従業員らに寄り添い、一丸となって支援していく」と強調した。
追浜工場は2027年度末で生産を終了する予定で、生産担当の従業員約2400人への対応が最大の焦点となっている。今後も臨時の労使協議会を開催し、議論を継続する方向で一致したものの、労組側は「追浜工場で働く全ての組合員の雇用と、勤務に関する具体的な計画を示すことが開催の条件」と反発している。
2027年度末に車両の生産を終了する――。経営再建中の日産自動車(横浜市西区)が、追浜工場(神奈川県横須賀市)についての結論を発表した15日、存続を望んだ地元には落胆の声が広がった。事実上の「閉鎖」で、子会社の日産車体の湘南工場(平塚市)でも日産車の生産終了が明らかになり、神奈川県内経済への影響は避けられそうにない。
影響は「城下町」全体に広がりそうだ。日産の下請け企業に部品を納入している岡田電機工業(横須賀市)の岡田英城社長(64)は、「これまでは苦しくても、人気車種が出れば注文増につながる期待があった。そんなチャンスさえもなくなる」。工場近くの弁当店の店長は、「歴史のある工場で、追浜にとって特別な存在だった。経営にも打撃で、ショックが大きすぎる」とうなだれた。
追浜、湘南の2工場の閉鎖を前提にするのか、一時休止とするかなど詳細は今後詰める。労働組合や地元自治体などとの本格的な調整もこれからとみられる。
1961年に操業を開始した追浜は「ブルーバード」「マーチ」などの主力車種や世界初の量産型EV(電気自動車)「リーフ」を生産した日産のマザー工場と位置づけられている。ただ近年、国内販売や輸出が低迷し、追浜工場の稼動率は4割台に下落(2024年度)。設備も古く、これまでもリストラの検討がなされたが、決断できずにいた。
日産車体も15日、湘南工場での日産車の生産を2026年度末で終了すると発表した。同社は「従業員の雇用を最優先に、あらゆる可能性を検討する」としており、平塚市の落合克宏市長は「今後の動向を注視し、必要な協議を進めたい」とのコメントを出した。
この日の午後、追浜工場を訪れたイヴァン・エスピノーサ社長は従業員に対して生産終了の決断を伝え、冒頭のように謝罪した。その後の記者会見では「追浜工場で働く従業員にとっては極めて大きな痛みを伴う改革だ。しかし、日産が現在の厳しい状況から脱し、再び成長軌道に戻るためにはやらなければならない」と理解を求めた。
横須賀市の上地克明市長は「日産には工場跡地をどう活用するかも含め、速やかに公表していただきたい」とし、「影響が最小限となるよう、支援や対応に全力を尽くす」とコメントした。横須賀商工会議所の平松広司会頭は「従業員が解雇された場合は対策が必要。具体的な動きがあれば、商議所で会員らに説明会を開きたい」と語った。
追浜工場の跡地の活用は未定だが、今後、複数の相手と工場や設備の売却交渉を進めていく。一部報道で台湾の鴻海精密工業との協業も取り沙汰されていたが、「合弁や委託生産は検討していない」(エスピノーサ社長)と否定した。
日産が本社を構える横浜市は15日夕、対策本部を設置し、会議を開催。市内中小企業を対象に、経営や資金繰りに関する相談を受け付ける日産特化の「特別経営相談窓口」を16日にも設置する方針を決めた。
経営幹部と労組による協議会が7月末に開かれ、生産終了に伴う対応を労組側に初めて示した。経営側は、従業員の異動先は九州の工場が中心になるとしつつ、「日産の他事業所や他企業への異動などが見込まれる」と説明。セカンドキャリア支援の制度を検討する考えも示した。引き続き地元での就業を希望するといった従業員を想定しているとみられる。
経営再建中の日産自動車が、追浜(おっぱま)工場(神奈川県横須賀市)の生産終了に伴い、約2400人の従業員を対象に他企業への転職支援を検討していることが18日、分かった。追浜の生産は九州の自社グループ工場に移管・統合する方針だが、生産台数の縮小などで希望者全員の受け入れは難しい情勢だ。
5月に2工場の閉鎖報道が出て以降、県内経済界は日産の判断に注目してきたが、結論はどちらも「生産終了」だった。浜銀総合研究所(横浜市西区)の白須光樹副主任研究員は、「関連企業や雇用、周辺の消費に与える影響は避けられない。行政の支援が必要だ」と指摘した。
現在生産する「ノート」「オーラ」は段階的に日産自動車九州の九州工場(福岡県苅田町)へ生産を移管する。生産部門に従事する約2400人はほかの工場や事業への異動などの選択を迫られる。


コメント