ヴォーグ誌 記事・広告で毛皮排除

FXブログ
ヴォーグ誌 記事・広告で毛皮排除
[紹介元] Yahoo!ニュース・トピックス – 経済 ヴォーグ誌 記事・広告で毛皮排除

ォーグ誌 記事 広告で毛皮排除

その後は数誌を渡り歩き、辣腕ぶりを発揮。83年に米国版『ヴォーグ』のクリエイティブ・ディレクターに抜擢、85年には英国版『ヴォーグ』の編集長として母国に呼び戻され、保守的だった『ヴォーグ』を一躍トレンド最先端のモード誌へと変身させた。その実績を買われ、88年に再びニューヨークへ、38歳で米国版『ヴォーグ』の編集長に就任する。

新進デザイナーやフォトグラファーの発掘、最大限に引き出される誌面の視覚効果などモード的な視点の鋭さは、誰もが認めるところであるが、最大の発行部数にするための、広告のクライアント対策などマーケティングにも手腕を発揮し、HIV研究のためのチャリティ主催など、現在の『ヴォーグ』につながるブランディングを成し遂げた。

父親からのアドバイスもあって、その後1970年に就職した『ハーパース・アンド・クイーン』の編集アシスタントを皮切りに、編集者人生が始まることになる。75年にはニューヨークに渡り姉妹誌『ハーパース バザー』のファッションエディターとなるが、上司と衝突を繰り返し、9か月で解雇。『ヴォーグ』にも面接に行ったが「何をやりたいか」と編集長に聞かれ「あなたの仕事に就きたい」と答え不採用になった。

当時の『ヴォーグ』は、ライバル誌『エル』に押され、ファッション誌というより、ライフスタイル寄りになっていて退屈な内容だった。現在のように、ファッション界の頂点として返り咲いたのは、アナの手腕に他ならない。

主催者は、米国版『ヴォーグ』編集長のアナ・ウィンター。そしてこのイベントこそが、彼女の存在感を最大限に示すものとなっている。

2000年~2015年頃には「ステルス・ウェルス」(姿の見えない富裕。つまり大袈裟ではない贅沢感。米『ヴォーグ』が作った言葉で、今ではクワイエット・ラグジュアリーとも表現)なシンプルで上質な半袖セーターにタイトスカートや、ツインセットもよく着ていて、ニュートラルカラー使いがとても上品だった。

現在は、『ヴォーグ』を発行するコンデナスト社のグローバル・コンテント・オフィサーも兼任し、『ニューヨーカーズ』を除いて、同社が発行するすべての雑誌の監修をする立場へと上り詰めている。

何より、このときアナに打撃を与えたのは、『ヴォーグ』の元クリエイティブ・ディレクター、アンドレ・レオン・タリーの回顧録の出版であろう。初のアフリカ系クリエイティブ・ディレクターとして、30年近くアナを支え、マーク・ジェイコブスやトム・フォード等、また非白人の多様な人種のクリエイターに光を当てたファッション界で尊敬される生き字引的な存在であった(22年に他界)。

その巨体と特注のシャネルのスーツや大きなLVロゴ入りのマントで身を包んだ姿は、コレクションの名物であり、『ヴォーグ』のツートップとして認識されていた。が、ある時期から急速に関係が悪化したようで、『ヴォーグ』から突然解雇。ポッドキャストやメットガラのインタビュアーなど全ての職を、説明も、金銭的な保証もなく外された。

アナに袖を通してもらうために、デザイナー達はしのぎを削る。アナが着るだけで広告費に換算すればいかほどになるか。ファッション界最強のインフルエンサーである。

同じく米国版『ヴォーグ』の編集長を務め、メットガラの先鞭をつけた、元祖ファッションアイコンであったダイアナ・ヴリーランドは、多くの雑誌の編集者として40年近く活躍したが、編集長職は10年足らずであった。一方、アナは英国版『ヴォーグ』編集長から、ニューヨークに渡り、38歳で米国版ヴォーグの編集長になって以来、2024年まで、米国版だけでも編集長歴36年のキャリアだ。今後も現在のポジションで40年は軽く超えそうな気配である。

2020年には、『ヴォーグ』の元従業員からの複数の証言で人種差別的な職場環境を培ってきたと指摘され、それまで一切の無反応を貫き、無慈悲なイメージが助長するに任せていたアナもさすがにこの時は社内メールで謝罪した。「ブラック・ライブズ・マター(黒人差別に抗議した運動)」などもあり、社会的な非難に繋がりかねなかったからだ。

(CNN) ファッション誌「ヴォーグ」は今後、「記事や広告の中で新たな動物の毛皮」を扱わないことになった。出版元の米メディア大手、コンデナストがガイドラインを更新した。

いつもアナは一人で行動しているので、守る人もいなかったのだ。後から来た『ヴォーグ』のクリエイティブ・ディレクターが、抱き抱えるようにして連れて行ったのを覚えている。次のショーは姿を見せなかったが、その次のショーには、何事もなかったようにパステルカラーのツインセットに着替えて、フロントロウに座っていた。本当に何事もなかったように飄然と。

さすがに毛皮を身につけることはないが、代わりにプリントやヴィヴィッドな色のコートを着ていたりする。記事冒頭で触れた今年のメットガラでも、「ロエベ」のコサージュに彩られたタキシードコートを着ていた。

コメント

` this.fetchProxy(url, options, 0).then( res => res.json() ).then( data => { if (data.body) this.srcdoc = data.body.replace(/]*)>/i, `
タイトルとURLをコピーしました