コミケ立役者 同人誌印刷 苦境
吉田さんの〝イズム〟は、恒信印刷のスタッフにも浸透しています。入社8年目の大山麻由さん(34)は、DTP事業部員として、入稿済み漫画データの確認業務に当たってきました。合わせて、著者と直接やり取りしながら、最適な印刷プランを提案するといった対応を重ねています。「印刷後の状態を想定し、作画への意見を述べる場合もあります。かつて担当した同人誌に、暗い背景に人物が浮かび上がる構図のコマが含まれていたんです。著者の方には、『人物の周辺の色をわずかに抜くと、発色が良くなりますよ』とお伝えしました」よどみない語り口に実直な性格がにじむようです。仕事の楽しさについて尋ねると「作り手にとって、唯一無二の冊子の製作に関われる点でしょうか。きれいに仕上がったものを見て喜んでもらえると、やりがいを感じます」と答えてくれました。
同人誌印刷会社の4割が赤字って...コミケの裏で文化を支えてくれてる人たちがこんなに苦しんでるなんて。 印刷所がなくなったらコミケ文化も終わっちゃうよ。
吉田さんいわく、同人誌の執筆経験が豊かなスタッフは少なくありません。中には、過去に顧客として同社を利用した人もいるといいます。二次創作に対する理解に印刷の知識が加われば、まさに鬼に金棒です。品質の底上げにもつながります。「何度も弊社を利用される著者さんには、特定の印刷担当者がつくんです。僕自身、20年ほど付き合っている人もいます。同人イベントの動向について情報交換するなど、こちらとしても様々な面で助けてもらっていますね」(吉田さん)こうした同社の体制は、作り手たちから好感を得ています。コミケの開催前は、特に発注が多く、約1カ月で40万~50万部もの冊子を刷った時期もあったそうです。繁忙度が高まると、吉田さん自ら工場に立ち、生産ラインをフル活用してきました。
2025年7月時点で判明した、同人誌の製本や印刷を事業内容に含む全国の印刷会社約80社を抽出し、決算データを基に最新の動向を分析した。その結果、2024年度決算(2024年4月-25年3月)では約4割の同人誌印刷会社が「赤字」で、前年度から利益が減るなどの「減益」を合わせた「業績悪化」の割合は半数を占めた。6割を超えた前年度に比べると低下したものの、依然として多くの印刷会社が利益を出せない状況となっている。 コミケをはじめ、各地で開催される小規模イベントが通常通り行われたことで、発行部数や印刷依頼数が増加し、売り上げ面では増収となった企業は多かった。ただ、印刷業界の共通課題ともいえる原紙やインクなど原材料価格が高騰し、人件費の上昇なども重なって利益が圧迫されるケースが目立つ。同人誌印刷ではもともと、上質紙からコート紙まで頒布物の様々なクオリティ要求に応える製紙在庫、小ロットでの印刷対応、イベントに間に合わせるための超短納期仕上げなど、通常の印刷業務に比べて各種制作工程のコストが嵩みやすい。 一方で、商業作家を除けば、金銭面で余裕がなく印刷にかける予算が少ない個人作家の利用が少なくないほか、同人誌のデジタル化、個人クリエイターや小規模なサークルを中心に、高品質・短納期・低価格を強みとしたネット印刷大手が浸透するなど価格競争も発生している。その結果、同人誌の印刷大手をはじめ、ここ数年で段階的な価格改定を実施し、コスト増を販売価格に転嫁する努力を続けているものの、原料価格の上昇ペースをすべてカバーするには至らず、利益が出しづらい状況となっている。
本文に漫画、写真、文字ものなど様々な原稿が含まれる、同人誌印刷・製本のセットです。
恒信印刷は個人・中小企業向けの印刷会社として、1967年に誕生しました。書籍やパンフレットのほか、「コーシン出版」の屋号で同人誌関連の案件を受け付けています。作品と丁寧に向き合う姿勢が、作り手から厚い支持を集めてきました。強みの一つが豊富なカラーリングです。CMYK(シアン・マゼンタ・イエロー・キープレート)と呼ばれる基本色に加え、通常の印刷では出せない、蛍光色を実現する技術を独自開発しました。希望に応じ表紙への箔押しにも対応しています。「女性の作り手を中心に、色彩豊かなデザインを望む方が多いんです。前職時代、インク研究に携わった経験を活かし、要望に沿ったサービスを展開しています。自社でインクも開発したいのですが、なかなか時間が取れませんね」吉田さんが苦笑します。
シャーッ……。眼前で高速回転する、見上げるほど大きな印刷機――。今年12月中旬、東京・板橋の住宅街に建つ恒信印刷の工場は、活気に満ちていました。同月30~31日、約2年ぶりに東京ビッグサイトで開かれる、コミケ向けの同人誌の製作に大わらわです。印刷機に吸い込まれていく、アルミ製の刷り版。スタッフの男性が、操作盤を手際よく動かし、インクの量を細かく調整します。ほどなく、両面に計16ページの漫画を刻印したB2版の用紙が、排出口から現れました。「一時間あたり8千枚近く刷り出しています。難しいのは、ベタ(黒)の表現です。美しく色を出すには、熟練の技術が欠かせません」。傍らで作業を見守る2代目社長・吉田和彦さん(58)が語ります。
作り手の心理に寄り添うことも欠かしません。以前、絵の線が極端に薄い原稿を受け取った際は、著者に意図を確認しつつ、読むのに支障がない程度まで、印刷時に濃度を調整したことも。本を編む側の個性を、何より大切にしているのです。表紙の色調を、どう構成しているか。コマの背景画像や、紙質の好みは――。先代から社長業を引き継ぎ30年以上、印刷業務を通じ、著者一人ひとりのクセを把握してきました。校閲作業まで担い、わずかな色むらや誤字さえ見逃しません。「色み一つとっても、作り手ごとに感性が異なるため、同じ仕上がりにはならないんです。出力後の原稿は、必ず複数のスタッフの目でチェックしています。法人向け事業以上に、神経を使いますね」「恒信さんの印刷物はきめが細かく、人目を引き、依頼を機に同人誌の売れ行きが改善した」「表紙のカラーリングが映え、即売会の参加者に興味を持ってもらいやすくなった」。顧客から届く、そんな喜びの声が原動力です。


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