渋谷交差点 なぜ天津甘栗の店ある

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渋谷交差点 なぜ天津甘栗の店ある
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渋谷交差点 なぜ天津甘栗の店ある

渋谷駅前のスクランブル交差点。おびただしい数の電子看板が目新しいものではなくなって久しい。なかでも、TSUTAYAやスターバックスコーヒーが入るQフロントのビジョンが最大だ。ビルの一面がほぼスクリーンのQフロントは、1999年オープンなので今年で20周年。三千里薬品の文字が定期的に表示されるグリコビジョンの脇には、「名物天津甘栗」のリアル看板もある。常に姿を変えている渋谷には、かつての風景を残せという運動は起こり得ないだろう。だが天津甘栗と三千里薬品の看板は、最古の風景として未だに保全されている。一方はアナログ、もう一方はデジタルとして。

Qフロントの向かって右隣が西武百貨店A館・B館。その先のY字路を左に折れてNHKのほうに上ると公園通りだ。パルコができる1973年以前の公園通りは「NHKまで綺麗になんにもなかった」というのは、中学時代から渋谷のロック喫茶に出入りしていたミュージシャンのサエキけんぞう(『さよなら!セブンティーズ』サエキけんぞう クリタ舎)。「公園通り」とは、パルコとともに生まれた名称だ。パルコ開業時のコピーは「すれちがう人が美しい 渋谷公園通り」である。

渋谷マークシティの5階にあるカフェ「エスタシオンカフェ」では、スクランブル交差点のみならず渋谷駅前の景色を一望することができます。店内は天井高8mの開放感あるスペースになっています。ケーキセットやフリードリンクプランが用意されていて、スクランブル交差点を眺めながら、いつもよりちょっと贅沢な時間を過ごせますよ。落ち着いた空間で、上質なひと時を過ごしたい方にオススメです。

スクランブル交差点は、人通りの多い繁華街などの交差点でみられる交差点です。実は渋谷のスクランブル交差点は、最も有名な駅前の物以外にも、渋谷109前などにもあるんです。車も人間も交通量が多い繁華街において、斜め向かいに渡るためには2度道路を渡らなくてはいけません。しかし、このスクランブル交差点で交差点へ流入する車を一斉に止めることにより、歩行者が自由に通りを行き来することができるのです。

公園通りの全盛時代は80年代である。インディーズ盤を中心に扱うダイエー資本のレコードショップの「CSV渋谷」が1985〜88年まで存在した。岡崎京子の漫画にもちらっと登場する(『クイックジャパン』創刊準備号 1993年)。漫画では、テイ・トウワらが出入りしていたことが触れられる。場所は、当時存在した「たばこと塩の博物館」の隣。また、公園通りの80年代を代表する店舗に「セーラーズ」もあった。おニャン子クラブが衣装としても着ていたブランドのショップで、公園通りの脇にある北谷公園の向かいにあったが現在は古着屋になっている。

無数の傘がカラフルに入り混じり、スイスイとお互いを避けあって通り過ぎていく光景は、まさにここでしか見ることの出来ない光景です。もし渋谷観光に訪れた日が雨だったとしても、肩を落とさず上空からスクランブル交差点を眺めてみましょう。

昨今の渋谷の再開発には、渋谷を大人の街として取り戻したいというあからさまな願望がにじみ出ている。建て替え中のパルコは2019年11月に再開するが、新しいパルコがターゲットとして打ち出しているキーワードが「ノンエイジ」「ジェンダーレス」「コスモポリタン」の3つである。世代や性別にこだわらない。若者だけを相手にするのではない。つまり脱若者の街が新しいパルコの方針なのである。公園通りから話が離れるが、旧東急プラザの跡地に立つ渋谷フクラスが19年12月に開業する。いまの渋谷の再開発で最も大きな影響力をもつ東急グループが手がけるこの商業施設のターゲットは、「都会派の感度が成熟した大人たち」。新しいライフスタイル「MELLOW LIFE」を提案するのだという。コンセプトを真に受けるものでもないが、渋谷の再開発において各社が口を揃えて”大人の街””脱若者”に躍起になる姿が見えてくる。45年近く若者の街が続いているのだから、そろそろ他の街がその役を引き取ってくれてもいいのではないか。

こちらも渋谷スクランブル交差点の直ぐそば、渋谷109MEN'Sの2階にあるカフェ「星乃珈琲 109 MEN'S」。店内はシックで落ち着いた雰囲気になっており、静かで穏やかな時間を過ごすことができます。また、こちらのお店はスフレパンケーキが大人気。ふわふわのパンケーキを2段重ねで注文してみましょう。ボリューム満点ですが、柔らかい食感がくせになりもっと欲しくなってしまうはず。コーヒーは2杯めからお代わり料金で注文することができるので、長居する際にもぴったりです。もちろん、窓の外にはスクランブル交差点の風景が広がっています。

渋谷スクランブル交差点は、JR渋谷駅のハチ公口を出てすぐの場所にあります。渋谷駅にはいくつか出口があり、ハチ公口以外の出口からスクランブル交差点を目指すと時間がかかってしまったりするので、ハチ公口を目指すようにしましょう。スクランブル交差点は渋谷の主要な観光スポットを繋ぐ交差点にもなっており、観光目的で訪れる際にもハチ公口が便利となっています。

「区役所通り」と呼ばれていたパルコ以前の公園通りに立ったのが、渋谷公会堂(1964年~)である。歴史を遡ると、公会堂の向かいに「時間割」という名の喫茶店が、パルコ以前からあった。69年に一戸建ての洋館の喫茶店として開業。2008年と最近まであったので覚えている向きも多いかもしれない。80年代にビルに建て替えられ、店舗はビルの地下1階に移っていた。

スクランブル交差点に観光で訪れる場合、雨の日がオススメです。なぜ雨の日なのか?それは、雨の日にJRと京王線の連絡通路などから、スクランブル交差点を見下ろしてみればわかります。

“渋谷=若者の街”というイメージは、渋谷パルコとともに生まれたといえる。東急がSHIBUYA109をつくったのも、当時の西武セゾングループが手がけたパルコの若者路線の成功があったからだ。東京における若者の街の座は、50〜60年代までは銀座が、60〜70年代には新宿が引き受けてきた。以降は、ずっと渋谷(と原宿)がその座を担い続けている。

Qフロントがすでに20周年ということに驚くが、SHIBUYA109は40周年である。40年にわたって若者をターゲットにしている老舗のファッションビルは、二律背反を抱えた存在といえる。渋谷はこれからも“若者の街”のイメージを抱え続けるのか。そろそろ限界も来ているのではないだろうか。今回は、渋谷が若者の街になったきっかけである公園通りの歴史を振り返ってみる。

世界で最初にスクランブル交差点の方式を採用したのは、カナダとアメリカで、1940年代までさかのぼります。日本で最初にスクランブル交差点の方式が採用されたのは、1968年に誕生した熊本県の子飼交差点だとされています。そして、現在日本全国にはスクランブル交差点が300ヶ所以上あるんです。スクランブル交差点といえば渋谷をイメージする方が多いかと思いますが、実はこんなにあるんですね。

さらに遡ると、「ピザハウスジロー」という店があった。橋本倫史の著書『ドライブイン探訪』で、作家の亀和田武がかつてこの店を訪ねた時のことを語っている。亀和田が高校3年生だった1966年。アイビーファッションで身を固めたクラスメートのクルマで一緒に来たという。駐車スペースがあったジローは、都会っ子の集まる場所だったのだろう。もともとジローは、神保町の喫茶店からスタートし、ピザの専門チェーンとして拡大。その後、この場所は渋谷東武ホテルとなり、いまに至っている。東武ホテルも、この辺りで最も古い建物のひとつになった。個人的な公園通りのシンボルは、ずっとミスタードーナツだ。坂の中腹くらい、東武ホテルの向かい側にあった。地元にもミスドはあったが、渋谷の公園通りは特別という印象をもっていた。最初に訪れた時のことを、はっきりと覚えている。初めて友人と東京に遊びにいった高校1年の夏の記憶だ。渋谷に着いてまず公園通りを突き進み、そこで見つけたミスドのエアコンで涼み、その後、渋谷の街を歩き回った末に再びミスドで涼んだ。とても暑かった夏という思い出なのだが、調べてみると86年は記録に残る冷夏だった。

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